横浜市から飯舘村へ応援派遣に駆け付ける

そんな折、小泉進二郎議員が神奈川県知事、横浜市長に行政OBを派遣するよう協力要請をしたというニュースが流れました。わが意を得たり、というところですが、自分がやらなければ口にすることもままならないという思いで、福島県飯舘村に勤務している横浜市役所の元同僚に連絡しました。案の定、飯舘村では人手が不足しており、私は現役として働くことができる最後だ、という思いで、復興応援に駆け付けたわけです。ですから、私は、横浜市からの応援派遣という位置付けになっています。

帰還は長いスパンで考える必要

飯舘村では、平成27年1月1日現在91.9%の住民が福島県内に避難しており、県外避難者は482人となっています。県内避難者のうち、福島市に避難している人が3,851人と62.3%を占めています。比較的帰村しやすい場所に居を構えているということでしょう。

村が考えている帰村の最も重要な要件である除染は、環境省の所 管です。土地所有者の確認等の手続があり、宅地・農地・道路を対 象とした除染業務は、宅地は約9割の進捗ですが、他はまだまだです。
村は平成28年4月帰村を目指していますが、除染の進捗状況や村内インフラの整備状況によって、帰村時期は変わると思われます。

また、避難自治体の大まかな傾向ですが、高校生以下の子どもがいる子育て世帯は、除染されたからといって、すぐに帰還する意向は少ないようです。放射能汚染に対する不安は大きく、除染の効能を信じられないということかな、と思います。要介護高齢者も実際に介護サービスが保障されないと帰るに帰れないと考えられます。
さらに避難後、新たな仕事に就いた方は、通勤距離により帰還するかどうかを考えると、帰還宣言があったとしても、スムーズに帰還が実現されるかどうかはわかりません。比較的長いスパンで帰還を考える必要がありそうです。

介護保険業務を通じての課題

私は飯舘村で介護保険を担当しています。介護保険業務は自治法上の自治事務で、本来村の職員が担ったほうが自治体にとっても有益だと思われるのですが、なぜか障害福祉とともに、応援職員が担当しています。よほど職員のやりくりができないのかもしれません。
しかし、26年度でやめてしまう応援職員は、27年度以降の取組みや企画に対して、何の責任を持つこともできない状態で仕事に携わっている状況です。この3月で勤務が終わる予定ですが、業務の継続性や正規職員の育成等いくつかの懸念を抱きながら「復興の役に立てば」という思いで仕事に従事しています。

業務を通じて最大の課題だと思うのは、避難により住民が広域に分散していることです。避難後、家族がバラバラになった世帯が多々あり、避難先でのコミュニティ形成が難しいと聞きます。帰還するにしても、おそらくバラバラの帰還となるため、いわゆる引き裂かれた状況はまだまだ続くと見込まれます。住民がお互いの絆を強める地域活動をしたいと思っても、避難先の新たな自治組織では、なかなか現実的にはうまく動きません。行政も様々な仕掛けで、村民が集まる機会をつくっていますが、行政と連動した地域活動が主体的に動くというところまではいっていないように思えます。

住民の不安や不満を受け止め、可能なところから取り組むという原則は変わらない

原子力発電所による被災は、津波被害とは別の様相を呈しています。
居住制限区域や帰還困難区域等に属している住民は東京電力から損害賠償金を支給されていますが、汚染された故郷に戻るには、保障や除染だけが帰還条件ではないので、自治体は住民が精神的にも物理的にも引き裂かれた現実を見据えた対応を迫られています。
おそらく、これまでどこの自治体も経験したことがないまちづくりをしていくことになると思います。

私が飯舘村の復興支援にかかわって、もうすぐ1年がたとうとしています。どこまで、村民の役に立ったか怪しいのですが、様々な形で国や県、市町村が被災地の復興に関わっていますので、その一環ということになろうかと思います。
最も重要なことは、何らかの形で、できる範囲で復興に関わっていくことかな、と思います。私の数少ない経験でも、住民の率直な話を行政が可能な限り聞くことが、住民と行政をつなげ、ひいては復興への取り組みに反映されると、改めて思いました。住民の不安や不満を真摯に受け止め、可能なところから取り組むという原則は、どこでもいつでも変わらないと思います。

被災地はまだまだ復興に向けた試練が続きます。
全国の皆さんから被災地への支援が途切れることなく、届けられることを願ってやみません。

福島県飯舘村任期付職員(横浜市役所のOB)
増尾 明