自分で考え、問題の本質に気づく

社員が何か問題を解決する時、自分で考えることによってそこに意味を見いだせないかぎり、決して主体性が発揮されることはありません。「会社にとっていかに重要か」を上司から説明され、理屈では理解していても、それだけでは主体的な行動は期待できないでしょう。
主体性を引き出すには、少々遠回りに感じるかもしれませんが、「自分で考え、問題の本質に気づく」というプロセスが不可欠であると私は考えています。

「最近の若い社員には主体性がない」という上司の嘆きを私たちはよく耳にします。多くの場合、これを学校教育の問題として片付けてしまいがちですが、本当に問題はそれだけでしょうか。
私から見ると、若い社員の主体性を引き出すための「社員に考えさせる機会」を、実は「主体性がない」と嘆いている上司自身が奪っているのではないか。そして、この問題に気づいている人は決して多くないように思います。
では、社員が自ら考え、最も主体性を発揮するのはどういう時かというと、私は「自分で判断して答えを出す責任」を担う時だと考えています。

小さな失敗は歓迎しよう

たとえば、私たちの会社では、何かの問題を解決する時には必ず責任者を明確にするのですが、その責任者は必ずしも立場が上だからといって選ばれるわけではなく、基本的には「問題の当事者(一番困っている人)」です。
「それで本当に大丈夫なのか」と思われるかもしれませんが、周囲の仲間が絶対に孤立させないという共通認識さえ持っていれば、その責任者は自ら深く考え、本質的な問題に気づき、解決のための衆知を集め、判断をめぐらせて答えを出し、仲間に協力を働きかけながら実行していく、という主体性を見事に発揮していきます。

しかし、多くの会社では、上司が部下にそういう機会を与えることの重要性を頭では理解していても、実際にはそれによって生じる「失敗のリスク」を回避することを優先し、ついつい「こういうときにはこうすべき」という答えを提示して、そのとおりにやらせるということをしてしまっています。
これが繰り返されると、若い社員も言われたとおりのことをやっているほうが楽なので、いつの間にか自分で考えることをしなくなり、逆に、主体性は希薄になってしまいます。
「主体性が大事だ」と言っている上司自身が、知らず知らずのうちに、部下の主体性を引き出す絶好の機会を奪ってしまっているのは本当に残念なことです。

失敗はしないに越したことはありませんが、人のやることである以上、必ず失敗は起こるものです。そこで大事なことは、現実的な見方に立って、小さな失敗からできるだけ学び、致命的な失敗を事前に防ぐことです。むしろ、小さな失敗は歓迎すべきものだと覚悟して、部下に「自分で判断して答えを出す責任」を担ってもらうことを優先すべきではないでしょうか。

そういう意味では、上司の役割とは、生じるかもしれない失敗のリスクが自分の責任においてリカバーできる範囲のものであるかどうかを予測し、負える範囲のリスクであるならば、部下の主体性を引き出すよい機会だと考えて、やってみるようにすすめることではないでしょうか。