考えずに仕事をする人が増える

この社会人基礎力とされたものの中身は、(1)前に踏み出す力 (2)考え抜く力 (3)チームで働く力という三つの能力です。

「社会人基礎力」といったものが改めて定義され、その重要性が指摘されるようになってきた背景には、社会がよりいっそう複雑化し、同時に効率化されてきたことがからんでいます。

従来なら許されていたような仕事の仕方なども、コンプライアンスの名の下に厳しく制限されるようになりましたし、それに伴ってさまざまな作業も新たに日常的に発生してきています。

このようにして、仕事量が増え続けているため、いちいち考えたり相談したりしなくても“仕事がさばける”ことがどうしても必要になってきました。マニュアル化は必然的に進み、考えずに仕事をする人は増え続けます。

“人が育たない、育てられない職場”

他方、日本の企業社会の特性でもあった密な人間関係は、アフターファイブ文化の衰退とともにあらかた消えてなくなってしまいました。

その結果、OJTは機能しなくなり、“人が育たない、育てられない職場”があらゆるところに増えてきているのです。こうした状況を背景に、社会人基礎力が、課題として提起される時代になってきた、ということができるでしょう。

ただ、この「社会人基礎力」というのは本来、本質を突いた実際的な能力でなくてはなりません。ということは、内容よりも形式を重んじたり、建て前や精神論の支配する、硬直した変化を嫌う組織の中ではかえって異質な存在になってしまいます。
つまり、そうした組織の中では、総論はともかく、各論で「社会的基礎力」が歓迎され支持されることはまずないでしょう。

公務員の組織などはおおむねそういう組織ですから、経済産業省がこうした能力を提起しているのは、ある意味では“自己矛盾”である可能性は否定できないのです。

何のためにするのか、その目的は何か

もうひとつ大切なこと、それは、ここで言われている「考える」ということの中身です。それは単なる知識、つまり「何を」ではなく、「なぜ」を考え抜くことでもあるのです。

実際の仕事の場面では、この「何を」は「どうやるか」にあたります。それに対し、「なぜ」は「そもそも目的は何か」「意味は何か」にあたります。
ほとんどの仕事上での課題は、まず「どうやるか」から入りますから、「何のためにするのか、その目的は何か」がすっぽりと抜け落ちてしまうのです。

そして、困ったことに「どうやるか」をいつも考えている脳は、いつの間にか既存の策を当てはめたり、前例を踏襲したりするのが当たり前の脳(処理脳)になってしまうのです。

つまり、考えるのをやめて、ただ選ぶだけの考えない脳になってしまうのです。社会的基礎力が必要とされる所以はこういうところにもあるのだ、と思われます。(つづく)

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