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何が「日本の働き方」を変えるのか?
~8割の時間を大切なことに集中できる能力と習慣とは~

2017年06月15日

 

事実・実態と向き合うか、それとも「たてまえの世界」に生き続けるのか。

日本という国の進化を妨げている最も大きな要因は何か、と問われるなら、躊躇なく私は、日本を動かしている主要な組織が「事実・実態」と向き合わない「たてまえ」で動いていること、だと答えます。
「たてまえ」の世界が組織に構築されやすいのは(欧米先進国と比べても)日本という国の顕著な特性です。

 

●たてまえの世界に安定はあっても進化はない

 

「たてまえの世界」が構築されている組織では、それに属する人間は、「黒いものでも白」とたてまえを言い張るようになります。国会での答弁などを見ていても、そうしたことはよく目につきます。

日本の組織は、それがしっかりと設計されている近代的かつ効率的な組織であればあるほど“指示命令で組織を機能させる”という意味で、機械論的な組織原理に忠実です。

こうした近代的な組織は、「指示命令が大切」という原則、およびきちんとした分業が実行されること、で成り立っています。
そして、冷静に見れば、こういう組織における「人」というのは、そのたてまえ上、部品とみなされているのです。

 

このように、組織の成り立っている原理そのものが機械論というある種の「たてまえ」で構成されているわけですから、人びとが原理どおりに動けば動くほど、事実・実態よりも「たてまえ」が優先されることになります。

たとえば「失敗はしてはならない」といった「たてまえ」は、“名人でも達人でも失敗はする”といった実態とは無関係に、ただ「失敗してはならない」という圧力となり、失敗したら糾弾の対象になることが組織の共通認識になっています。

その結果、原因を究明する、といういちばん大切なことがどこかに押しやられ、失敗は“隠す対象”になってしまうのです。こうした、たてまえで構築されている組織に働く同調圧力にはすさまじいものがあります。
それに逆らうと現代の村八分さえ受けかねません。

というのも、こうした「たてまえ」がもたらす規律が、その組織に(とりあえずの)安定をもたらしているからです。
「あったものでもなかったことにする」ことにより、組織は混乱から逃れているのです。
そういう意味では、日本という国の進化を妨げているこの壁は、決して簡単に崩せるものではないことがよくわかります。

しかし、現実を直視せず、本来克服しなくてはならない混乱を恐れ、避けて通ろうとする組織に未来がないこともまた事実です。
この「混乱を恐れない」は、私たちスコラ・コンサルトがずっと大切にしてきた姿勢でもあります。

 

●たてまえ世界を脱するための「共感のネットワーク」

 

ただ、別の見方をすれば、混乱を避けるための同調圧力をもたらしている日本的な人間どうしの関係性、というのは同時に、日本人独特の共感能力を私たち日本人にもたらしている、というのも事実です。

欧米先進国の人々よりも私たち日本人のほうが、他人に対するある種の共感性をより強く持っているということは、ドイツやシンガポールなど海外でも行なったオフサイトミーティングなどを通じて得た私の実感なのです。

私たちが主導しているスコラ式オフサイトミーティングは、まさにこの共感能力を引き出し、ネットワークしていくためのツールです。

「たてまえの世界」に埋没することなく、事実・実態にしっかりと向き合っていくことは、一人ではかなり困難だからです。

私たちがオフサイトミーティングを重ねていくのは、共感能力をフルに駆使してつくり上げた自分たちのネットワークの存在があってはじめて、たてまえの世界からの脱却が可能になるからです。

言い換えれば、私たちの仕事の中身というのは、このたてまえの世界から脱却し、事実・実態に向き合うプロセスの設計とその構築に関連する支援なのです。

 

●物事の意味・目的を考えない仕事が生産性を低下させている

 

たてまえが支配しがちな世界は、日本の労働生産性にも大きな影響をもたらしています。

欧米先進国と比べて日本の労働生産性が低いことは最近よく話題になります。
労働生産性を上げないことには、いま最も大きな社会的テーマになってきている働き方改革も、結局なし遂げられないからです。

“勤勉な国民性”で知られる日本の労働生産性が低い理由のひとつとして、ムダな仕事も厭わずにやってしまう、という点が挙げられます。
日本人がその国民的特性として持つ合理性は、ともすれば部分最適に陥りやすい合理性です。

というのも、欧米先進国のそれと比べて日本の教育は“知識の教育”に重きを置く傾向が強く、「全体を俯瞰する能力」への関心は弱かったからです。
全体を俯瞰する能力が弱い、ということは、物事の優先順位をつける力も習慣もない、ということを意味しています。

結果として、落とし込まれてくる仕事をたださばくことにのみ全精力を傾けている勤勉な日本人、が当たり前になってしまうのです。

 

日本人の多くは課題を前にすると、「まずどうやればいいのか」を考えることから始めようとします。「何のためにこれが必要なのか」とか「誰のためにどういう価値をもたらすものなのか」などに関心を持つ人は多くありません。

“物事の意味や目的、価値などを考える”というのは、物事の相互の関係性に関心を持つことであり、全体を俯瞰し構造化することにつながります。
こうした力があってはじめて、物事の優先順位は明確になる。

そして、大切なことに自分の持ち時間の8割を割き、大切でないことはやめたり、限りなく省力化したりして持ち時間の2割でこなす、という習慣がつきます。

そのことで働き方は大きく変わり、労働生産性は飛躍的に向上するのです。

 

●子供のころから「考える力」を育てる教育を

 

日本の教育を主導する主要な組織、たとえば教育委員会なども、たてまえで動いている組織の典型です。
教育の世界が「こうあるべき」というたてまえでつくり上げられていることが、教師から子供と向き合う時間を奪い、意味や目的を考えながら育つ子どもたちを少なくしてしまっています。

めぐりめぐってその結果、日本の労働生産性は、先進諸国のそれよりも著しく低い水準にとどまったままなのです。

 

それに対して欧米の先進国(例えばフィンランド)では、小学校の段階から起業家教育がなされています。
意味や目的を考える力を小さいころから養成している、ということです。

その事情をもっと詳しく聞いて、一緒に考えてみたいと思い、この6月17日の土曜日、フィンランド教育を専門に研究している水橋史希子女史を招いて、日本の教育とフィンランドの教育の「本質的な差」に関する対話会を行なうことにしました。

 

日本の労働生産性の低さについて、私は次のような仮説を持っています。
・仕事に優先順位をしっかりとつける能力と習慣が欠如している
・日本の教育がたてまえの世界に主導されている
・「たてまえの世界」が主導する教育が、私たち日本人から、物事とその本質に向き合う力を弱めている

この仮説に私は確信に近いものを持っていますが、その検証はこれからもさまざまな機会を通じてしっかりとしていくつもりです。

  

参考:「教育がたてまえの世界である」ことに言及した『教育展望臨時増刊/2011年7月10日』〈パネルディスカッション 世界における日本の教育を展望する〉に寄せた小論をお読みください。

詳細はこちら

柴田 昌治

柴田 昌治(しばた まさはる)

80年代後半から企業風土・体質改革のコンサルティングに取り組む。 変化を妨げている価値観を変えながら変革のプロセスをつくり込んでいく「プロセスデザイン」というやり方が特徴。

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