官僚的な組織といえば、“非人間的で硬直した組織”というイメージがまとわりついています。
しかし、本来の近代的な官僚組織は、その設計思想上からもきわめて機能的かつ効率的な組織なのです。

それはつまり、組織を効率的に動かす機械論的な組織原理を備えている、ということを意味します。
具体的には、権限の明確化、組織の階層化、組織の専門化などという総論で成り立っているのが、その原理です。
戦後日本の高度成長を支えてきた国の根幹を形成している組織、たとえば警察であるとか国税庁などの官庁、さらには重厚長大企業など、すべてがこの近代的な官僚的組織の系譜上にあるのです。

この官僚的組織を動かしているのは人間です。それに属する人間もまた、正確に繰り返し同じことができないと官僚的組織は成り立ちません。
そのためには“指示命令には従う”といった約束事だけではなく、組織の中で働く人間の思考や判断をきちんとした“枠”の中に納めることが必要です。

その役割を果たしているのがタテマエなのです。

しかし、近代の官僚的組織が、事実・実態と向き合うことを置き去りにしがちなタテマエを中心に回っていることが、今日さまざまな矛盾をもたらしています。
日本的な組織風土の根源的な問題はここから発しているのです。

現状をこのように見立てることから、日本の組織風土改革はスタートします。
問題の本質をわかりやすく捉えることができれば、解決への筋道の描き方が見えてくるからです。

理屈としては正しくても「現実」に対応できない「タテマエ」

一般に「タテマエ」という言葉は、本音との対比で使われています。
しかし、本来は「基本の方針・原則」というのがその意味です。

たとえば、上司から「明日までにこの資料を用意しなさい」と言われた時、実務を担う現場の感覚からすれば「無理だろう」と思いながらも「わかりました」と返事をする、というのはよく見られるシーンです。
タテマエ的な行動とはこういう反応を言います。
“上司の命令には従う”という「基本の原則」が無意識のうちに頭の中で作動しているのです。

このように、無意識にタテマエで行動してしまうことが実態との乖離をもたらす、という現象はタテマエ中心に回っている会社ほどよく起こることです。
つまり、タテマエを「事実・実態」と対比させることで、事の本質が明確に見えてくるのです。

私たちは「タテマエ」をこうした本来の意味を念頭に置いて使っています。
その中身を少し詳しく見てみましょう。

タテマエの本来の意味は、前に書いたように「基本の方針・原則」です。
そして、官僚的組織におけるタテマエの役割は、組織を本来の設計通り効率的に動かすため、機械のごとく正確に組織を運営し続けるために、人間の思考や行動に枠をはめて“揺らがせないようにする”ことです。

この性格上、タテマエは、使われ方によっては「戒律」のように機能してしまいます。
誰にとっても、論理的に筋が通っていて理屈上の正しさを持つがゆえに、ゆるがせにできないものとなって宿る、という意味での「戒律」です。

とはいえ、理屈上いくら正しくても、それが現実そのものなのかと言われると、そうではありません。
常に変化しているのが現実の世界ですから、揺らぐことのない理屈上の正しさだけを押し通すと、変化のある現実との乖離が必然的に生まれます。

正しい指示も、精神論で押し付けると中身を失う

右肩上がりの先が読みやすい時代ならまだしも、変化の激しくなった今のような時代になると、戒律化したタテマエに枠をはめられた人間も組織も、進化から取り残された過去の遺物と化していくのは当たり前です。
ビジネスにおいても、その問題は深刻です。

たとえば、営業担当者は「売る」のが使命です。
ですから、「売らねばならない」という上司の指示は、どこから見ても間違ってはいません。
しかし、上司がこの指示を上からの圧力として繰り返すだけで売れたのは、高度成長の時代です。頑張るだけで結果が出た時代とは違い、今はさまざまな角度から知恵を引き出さないと売れなくなっています。
大上段に振りかざし圧力をかけ続けることが、「売らねばならない」というごく当たり前の指示を、中身の伴わない単なるタテマエにしてしまうのが今の時代なのです。

にもかかわらず、こういう正論、つまりタテマエを振りかざす上司が今なお後を絶たないのが日本の現状です。
組織に根付いた過去の成功体験と、組織の中で働く人間に深く根付いたタテマエから生まれる精神論が、こうした時代遅れのマネジメントを許容しているのです。

タテマエが、より一層ネガティブな役割を果たすのは、それが精神論と化してしまう時です。
タテマエも、無理に押し付けられることがなければ、必ずしも大きな副作用をもたらすことはありません。
一面では、組織を円滑に回す役割を果たしているからです。

しかし、タテマエが「こうあらねばならない」「こうあるべき」といった精神論として無理に押し付けられる時には、性格上、揺らぐことのできないその硬さが、現実との乖離を引き起こしていくのです。

問題が隠れ、失敗が繰り返されるのはなぜか

たとえば、組織の中にイレギュラーな事態を引き起こす「失敗」について、タテマエ中心に回っている組織がどのように対応しているのか、を考えてみます。

失敗は、言うまでもなく起こしてはならないものです。
起こさないよう、万全の手立てを尽くすことが求められます。
とはいえ、「失敗はしてはならない」というタテマエを精神論として繰り返す、もしくは強要するだけで失敗がなくなるかといえば、そんなことはありません。
それどころか、結果として、かえって大きな失敗を引き起こす可能性が増大するのです。

通常、大きなトラブルの前には、小さな予兆としての問題がいくつも出てきます。
その予兆をしっかりと捕まえて原因を分析し、対策をとることが大きな失敗を未然に防ぐためには不可欠です。
予兆をしっかりと押さえ、原因を見極めることができれば、大きな失敗を未然に防ぐ可能性は限りなく大になるのです。

この小さな予兆を顕在化するには、かかわっている人を責めるのではなく「なぜ失敗したのか」を真摯に問い続ける姿勢が必要です。

というのも、頭ごなしに「失敗をしてはならない」と圧力をかけ、どんな小さなトラブルでも起こしてしまった人を罰する、といった強圧的な管理を繰り返していると、問題が表には出てきにくくなります。
人間は誰しも叱られたくはありませんから、隠せるような小さな失敗は隠すのが当たり前になってしまうのです。
その結果、表向きはそうした小さな失敗がなくなります。
しかし、小さな失敗から学ぶことができる貴重な機会や経験もなくなるのです。

人も組織も、失敗から学べないと成長しなくなります。
つまり、タテマエが過剰に作用する組織には、進化が望めなくなるのです。

「タテマエに縛られている実態」に気づくことが改革の第一歩

ここまで重厚長大企業を例にとって説明してきましたが、こうした問題は、一部の組織で起こっている現象ではありません。
タテマエのもたらす精神論が現実との乖離を生んでいるのは、中小企業も含め、指示命令で動くほとんどの組織で多かれ少なかれ起こっている現象です。

そんなこともあって、組織風土を変えていくことの必要性を感じている人は、間違いなく増えてきています。
必要性を感じるだけではなく、努力をしている会社や人も今や少なくありません。
しかし、残念なことに、努力のわりに「望ましい風土」という結果がもたらされている例は多くありません。
というのも、たいていの場合、そもそも何に向けて努力をすればいいのか、何から手をつけていいのか、がわからないままだからです。

そういう意味では、「タテマエ」にみんなの関心を集中させることで対象が明確になり、組織風土改革の最初の一歩は踏み出しやすくなります。
「自分たちの組織は、どういうタテマエに縛られているだろうか」という話し合いを始めるだけでも、“事実・実態を大切にしなくては”という意識は芽生えていきます。
同じ過ちを繰り返さないために、失敗から学ぶ必要性を共有していくことも可能なのです。
こうした“事実・実態を大切にする”経験の積み重ねが議論の質を上げ、戒律的なタテマエの「枠」もしだいに外れていきます。

無意識のうちに「事実・実態」よりも「タテマエ」を優先してしまっている自分たちの実態に気づくことから、最初の一歩は踏み出せるのです。