「対話する」ということ

「対話する」ということは大事、そう思っていても、なかなかできにくいものです。
「うまくできない」「やる時間がない」「苦手だからできればやりたくない」などの理由があるのでしょうか。でも、これらの背景には、「向き合いたくない」「できれば避けたい」「関わらないほうがラク」という気持ちがあるのではないでしょうか。

対話する相手は、自分以外の他人です。
自分とは生まれも育ちも違うため、当然これまで経験したことも、考え方も、将来に向けて期待することも違うわけです。だとすれば、最初から理解し合い、気が合うはずはなく、対話が難しいのは当たり前です。

でも、そんな他人との対話の中で生じる壁には、

「自分とは違うなぁ」
「自分のことを相手はどのように見ているのだろうか」
「自分のことをどう伝えればいいだろうか」
「自分は相手のことをどう思っているのだろうか」
「そもそも自分は何がしたいのだろうか」

そんな自分自身のことを問い直され、明らかにしなければいけなくなる、自分自身と向き合う対話が発生する理由があるように思えます。

自分の器を変えてみる(リフレームする)

昨今では、公務員のみなさんの間でも組織を越えて集まる場が、たくさん増えてきました。
「まちづくりオフサイトミーティング」「地域に飛び出す公務員ネットワーク」「よんなな会」など、場の敷居はどんどん低くなり、広がっています。
先日も“全国自治体職員ネットワークサミット”に多くの職員が全国各地から集まり、交流していました。

組織の外、地域の外に出て、多くの人と知り合う。いろんな事例を聞き、参考にする。
たくさんの話、人との出会いから刺激を受ける。
どれもすばらしい気づきが得られる機会になるものだと思います。

ただ、同じ場に参加していても、そこから何を学び取れるかは、人によって異なります。

他人との対話には、他人を鏡として自分と向き合い、理解する側の自分との対話が表裏一体となっていることがあるものです。
それゆえ、相手と自分の間のギャップが大きいと、情報を聞くことはできても、自分の器の中には入り切らず、こぼれ落ちてしまうことが多々あります。
相手を本当に深く知り、理解することが難しいのは、そんな自分との対話のプロセスを伴うからではないでしょうか。

学び取るためには、自分の心を開き、聞き取りにくいところは、過去の自分を一旦横に置いて、自分の器を変えてみる(リフレームする)ことが必要です。
対話する相手から刺激を受ければ、これまでの自分がやりたいと思っていたことや、めざしていたこと、強みや弱みと思っていたことの見方が変わり、それをどう生かしていくかのやり方についても、変わってくることがあるかもしれません。

相手をより深く知るための対話をしながら、自分自身の学び取る器を変え、大きくしていく、そんなリフレーミングのうまい下手が、他人との対話からの学びのうまい下手につながっているように思えます。

私は、2000年から「公務員の組織風土改革世話人交流会」という場を開催していますが、予めテーマを設定していません。
ゲストを呼んで講演を聞くことや、壇上でパネルディスカッションなどを用意して事例を勉強する場も併設していません。
一人ひとりが、互いが話し合いたいことを持ち寄り、自由に語り、聴き合うことを大事にしています。
地域との関わり、庁内の関わり、職場の関わりなど、ご自身が注力している取組みの視点は事前に伺ってはいますが、そこに限定しているわけではありません。

この場のことを「自分自身のネジを巻く機会になる」と話してくれるリピーターもいます。

自分が(公務員として)何をやっているのか、今何を感じ、悩み、これから何をやっていきたいのか、自分と向き合う対話もできるよう、場のコーディネートは、敢えて中立的なファシリテーターではなく、公務員が当事者として「聴く」姿勢を体現しながら担っています。

ジブンガタリをもとに他人と自分と向き合う対話の場、オフサイトミーティングの原点とも言える場を体感しに、よろしければ年初の交流会にいらしてください。
運営チームとともにお待ちしています。