信頼コストと不信感コスト

経営が抱えるさまざまな課題に対し、風土改革アプローチでは、組織における個人の「自発性や意欲」、上下間やメンバー間の信頼の有無による「関係性の状態」などを焦点にして働きかけていきます。改革の入口で、このような環境づくりをすることが必須条件であるがゆえに、風土改革といえば、人の内面的な改善効果のほうに評価の目が向きがちです。

しかし、改革の効果は、経済性で見ていくことも欠かせません。投じたお金に見合った効果は出ているのか、リソースは最大限に生かされているのか、物心両面での生産性はどうか、全体利益は損なわれていないか、といった視点が必要なのです。

それというのも、風土に問題を抱える会社に共通して見られる“組織の機能不全”状態は、あまりにも非効率・非生産的なものだからです。もしも自分が経営という会社の財布を預かる立場であれば、「これほど財政が厳しいと言っているのに、なぜこんな状況が放置されているのか」と息巻くことでしょう。

たとえば、ある職場が経営への不信感から、自職場を防衛するために慣習的にやっていることが、結果として会社の利益に反している。経営の意思を受けて会社が導入・推進している施策が現場に過剰な負担をもたらし、結果として経営への不信感から問題隠蔽が起こっている。そんな“社会的ジレンマ”のような状況が、風土改革の支援現場には次々と浮かび上がってきます。

組織の効率・生産性の足を引っぱる機能不全は、外部から見れば合理的な説明のつかない「おかしなこと」ばかりです。それがたとえ経営に対する不信感といった感情的なものであっても、内部的には“それなりの理由”になります。現場が日々仕事をする上で信じるに足る現実的な安心感や共感がないと、結果的に、組織には、全体利益を損なう「面従腹背」というねじれた構造が生まれてしまうのです。

それは個々人の意識の持ちようや改善努力で変えられるものではありません。そこにいる人たちを支配している「組織の常識(価値観)とそれを強化している要素」を、いかに“みんなで”直視し、変える努力をしていくか、という問題なのです。

その意味で、個人の意識や関係性の背後にある実態上の問題構造に迫っていく風土改革は、会社のさまざまな活動の経済性を高める取組みでもあるのです。

やらせる改革は、高コストアプローチ

制度や仕組みを導入して全社で一斉に改革を推進しようとする、そのやり方の前提には、「人は変化を嫌うものだから、ある程度、強制されなければ変わらない」という見方が潜んでいるように思います。

このような見方にもとづくアプローチは、多くの場合、推進する側にとってテクニカルに導入・展開しやすい方法、コントロールしにくい要素(非合理的な人の感情や動機など)を省いた進め方になりがちです。そして、そのほうが一律一斉にやりやすいことから「効率がいい」、つまり「低コスト」だと判断されがちなのです。

しかし、やらされる側から見た場合はどうでしょうか。

「余計なことを義務として押しつけられている」「形ばかりの取組みを散発的に繰り返すだけで業務の問題は何も解決されない」「時間と労力が空費されている」「報告書や会議がむやみに増える」など、物心両面からの負担がのしかかってきます。たとえ大義名分が「会社が良くなること」「その結果として社員が幸
せになること」だとしても、「だから今は我慢しよう」とは誰も思いません。ばかばかしくてやっていられない、という負のエネルギーが増幅されていくばかりです。

このような状態が果たして、投資に見合った効果なのか。やらされている現場の状態を実際に見れば、ストレスフルな状態に陥っているケースが少なくありません。将来の生産性を高め、財につながるとは思えない状況です。これでは低コストとは言えないでしょう。

しかし、やらせるほうの推進側は、そもそも最初から「変化には抵抗がつきもの。自分たちは嫌われ役」という割り切りからスタートしています。そのためか、「いかにやらせるか」「どんな結果が出ているか」という点については非常に関心が高いのですが、では、「やらされた人たちはどういう状態になっているのか」というプロセスについては意外なほど関心が低いように思えます。

たとえ、効率化のための施策が現場のストレスや経営への不信感を招き、「仕事の非効率」を生んでいたとしても、それに対する予防や解決策が用意されているケースはめったにないのです。

先行き不安による改善ロス

組織のメンバーが自分の仕事を見直し、ムダやロスを減らして業務を効率化することは、働き方改革の取り組みとしても当たり前になっています。しかし、そうした業務改善の向かう先が不明瞭であったり信頼できなかったりすると、思うように進まなくなることがあります。

特に、改善の目的が効率化だったり費用削減だったりする場合は、注意が必要です。実務担当者は、このまま改善を進めていった結果どうなるのかと考えてしまい、その先で自分の仕事がなくなる、自分の居場所が脅かされるのではないかと不安を覚えるからです。

実際、IT化の推進を始めたら社内の空気が不穏になった、という会社は少なくありません。「事務処理のスピードが上がって○人分が省力化できる」といったふれこみは、常に経営効率を考えている経営者にとっては魅力的なものですが、事務職の人間にとっては恐怖でしかありません。工場の工程改善や外注化などもしかりです。他方に、工場の再編や合併話の噂が流れていたり、リストラを経験した人であればなおさらでしょう。

本来、改善や合理化自体は善なるものです。しかし、それを方針として積極的に進めようとする時は、できるだけ早いタイミングで、その背景にある事情や意図、その先の「めざす姿」を明示するなどの説明や話し合いをしておくことが大切です。それを怠ると、社員の疑心暗鬼や防衛本能から活動にブレーキがかかり、効率化に逆行するような”意図的な非効率”が生まれることになるからです。

(本コラムはプロセスデザイナーの著書から転載・更新したものです)
『[衰退産業]崖っぷち会社の起死回生』(遠藤咲子著)より

見えざるコストと風土改革(2)~ 全社で展開される施策の落とし穴はこちらから