夏の甲子園で丸刈りをやめた高校はいくつ?

今年の夏の全国高校野球選手権大会に出場した49校のうち、選手の「丸刈り」をやめたのは旭川大(北北海道)、秋田中央(秋田)、花巻東(岩手)の3校でした。新聞記事によると、たとえば秋田中央の佐藤幸彦監督は「選手が主体性をもつことを期待して」と、その理由を語っています。さらに、それによる変化として「選手同士がお互いに課題を指摘するといったことができていた」とも。同校は、秋田大会に出場した44チーム中では唯一の「丸刈り禁止」校で、じつに45年ぶりの甲子園出場を決めました。

日本の高校野球といえば、選手の丸刈り頭がシンボルであり伝統です。それをあえてやめることにした目的は何なのか、監督たちは選手の成長とチームのパフォーマンスをどのように考えているのかに興味が湧いて、私はネットの取材記事をいくつか調べてみました。

そこで、まずわかったのは、主流になっている丸刈りの理由です。高野連の規則で定められているわけでもないのに、なぜ丸刈りがこうまで当たり前になっているのでしょうか?
(1)野球に専念できる(帽子がかぶりやすい、汗ふきがラク、外見に気をとられない)
(2)周りから浮かない
(3)伝統だから、
といった理由が挙げられています。なるほどな、とも思いました。
「丸刈り」という型から入り、目的に向かって集中し努力するのは、熾烈な競争を勝ち抜くための合理的な慣習だとも思えます。

そんな状況にあって、あえて丸刈りをやめたチームの指導者は、どういう意図をもったのか?
秋田中央では、この4月に佐藤監督が選手たちに「野球部=坊主頭。考えもせず、ただ坊主頭にしていないか?」と投げかけました。制服がブレザーとネクタイという背景もあり、「ヘアスタイルも考えて行動してみよう」。「坊主頭に甘えない」という意図もあります。「坊主頭で野球の恰好をしていると、世の中的に“野球部員だから”ちゃんとしているでしょ、と思われる。もし、だらしないことをしていても、恰好でごまかしていたり、甘えていたりする部分があるのではないか」。

監督からの提案を受けて、選手たちはどうだったのか?
「最初は抵抗がありました。自分で髪型を考えないといけないし、伸ばして似合わなかったらどうしようと思いました」と戸惑う生徒。多くは小学生の頃から野球を始め、坊主頭に疑問をもたなかった。「練習試合の相手が、髪が伸びているのを見て、シンプルにかっこいいなと思いました」という声も。1週間かけて選手たちで話し合って決断しました。

今、選手たちは、「野球をやることに変わりはありません。髪が伸びて、まだ世間からは『違うんじゃないか』と思われると思うんですが、そういうのを早くなくして、見た目ではなく、野球を見てもらいたいなと思います」「髪を伸ばしたから負けたんだと言われるのは承知のうえ。結果を出すことで、野球の技術は関係ないというところを見せていきたいなと思っています」という。(Full-Countより)

実際に丸刈りをやめたら、やはりというか、周りから「あれ、野球やめたの?」と言われて説明に四苦八苦した、という声もありました。

そういう戸惑いの時期を経て、監督の話を聞くことが中心だったミーティングにも自分たちで話し合う時間をつくる、練習メニューも自分たちで組み立てていく、などチームとしてのパフォーマンスが高まる効果が出ているようです。

「枠をはずして自分を広げる」研修を楽しむ

今さらながら、高校野球の「丸刈り」のことが気になったのはなぜかというと、今の時代、目的に向けてチームで仕事を進める上では、「目的の問い直し」という風土改革アプローチが欠かせないと私たちが考えているからです。

わかりやすくいうと、大きく変化する時代や環境を前提に、物事や課題に取り組む際には、会社や仕事、自分たちのありかたを本質的に問い直すことを出発点にする。そのことが、日常的に考えることなく当たり前にやっている行動や、思考のクセを意識的に扱い、その意味や是非を問い直すことにつながります。

高校野球でいうなら、指導者である監督が「当たり前を問い直すことなく丸刈りを続ける」のではなく、あらためて、「何を目的として、どうするのか」を選手たちに考えさせる。それが選手個々の成長につながるということです。

これは、いい悪いの話ではありません。もし、過去から続けてきたやり方や習慣が今も合理的であり、これからも望ましいなら続けていけばいい。しかし、それが今後の自分たちの進化を大きく妨げるのであれば、意図的にそこを変えていく。その検討をするための機会を設けることが必要なのです。

例として、研修を取り上げてみましょう。大手IT企業A社の話です。

その会社では新任管理職を対象に、労務管理、コンプライアンス、ビジネス倫理、メンタルヘルスなど、ひと通りの基礎研修を行なっています。それとは別に、ある事業部では昨年から、T事業部長の判断で、「会社からの知識を与えるのではなく、個人が主体的に発想する」2日間のワークショップを実施しています。

T事業部長は、自身の経験から、日進月歩の著しいIT業界におけるビジネスの厳しさと、そこで主役になっていく将来の人材を考えてみたとき、これまでの「問題、欠点を潰していく」考え方の研修では成長支援として不十分なのではないかと感じていました。

なぜなら、ビジネスにおいて受注の成否を分けるのは、今や各社間で大きな違いがなくなった製品・サービスの品質でなく、むしろ会社のブランド力であったり、「この人と仕事をしたい」とお客様が思うような、個人の信頼性や魅力ではないか。個人を伸ばすことがひいては会社の価値も高まる、このような信念に基づいて、個人として「長所を伸ばす」ことを主眼とした研修を導入することにしたのです。

「長所伸展」をコンセプトに、2日間で行なう「オリジナル価値探求ワークショップ」は、まず「自分の強み」に気づくことから始めます。参加者が5、6人ずつのグループになり、子供時代にさかのぼって経験をふり返り、仕事人としての強みにつながる自分の特長を再発見。それをこれからの時代や社会という視野の中に位置づけて、自分なりの将来ミッションを明確にしていきます。

これといった正解のない話し合いの中で、メンバー同士がお互いの個性を引き出し合うプロセスには発見が多く、アニメのキャラクター名をつけあうなど、場は楽しい空気にあふれています。1日目にワークショップを見学に来た50代の幹部は、夜の懇親会でこう語りました。「今日、部屋に入ったとき、みんなの楽しい表情が見てとれた。私が若い頃に受けた研修は、他の人に囲まれてダメなところばかりを指摘された、いやーな思い出しかない。ダメな点ばかりを指摘されたからって、そこを直そうという気にはならないものだよね」

できてないことを埋める、窮屈な主体性

ひと昔前、20世紀には、このようなネガティブフィードバックの手法が流行った時期がありました。指摘を受けて自分自身の短所と向き合い、それを克服して変化することを宣言する。もっともらしい宣言をしないとその場が収まらないので、模範的な回答をひねり出す。この幹部のように苦い思いだけが残る内容だったのです。

さすがに今どきは、「やらされ感」ばかり残るそのようなやり方では意欲の面でも効果がないとされ、もっと個人の「主体性を尊重する」考え方に変わっています。

最近の管理職研修によく見られるのは、次のようなパターンです。自社の「求める管理職像」を示す。一人ひとりがその管理者像と自分の現状(客観的なデータツールが使われることが多い)とのギャップを認識し、克服すべき課題を自ら設定する。どこに重点を置くかの優先順位づけを行ない、行動目標と学習目標を設定して成長計画を作成する。

目標設定と計画づくりは自分でやる、という意味では「主体性を尊重」してはいます。ただし、標準的な物差しがあり、それを基準にしてレベルとの差を埋めることを求める「短所是正」や「減点法」の考え方は根強く残っています。

ものづくりの改善や計画の進捗管理などの場合なら、不具合や問題を見つけて直す、というアプローチも有効ですが、それを人の思考や行動に適用することにどれだけの効果があるでしょうか?

T事業部長にはそんな思いがあって、長所伸展型のワークショップを導入したのです。

★後編は、研修見直しの背景にあるA社の仕事の文化と、長所伸展のワークショップの内容についてご紹介します。

後編はこちら