「対立構造」をつくり上げてしまった変革者の体験

私が人事を担当していた当時の会社は、オーナーを中心とした一部の人間の独裁的な経営体制が敷かれており、常識では考えられないほどおかしなことが日々繰り返されていました。特に持株会社の社員には通常の業務とはまったく関係のない指示・命令が出され、従わなければどんな目に遭うかわからないので、皆は憤りや緊張を抱えながら日々耐え忍んでいました。

そんな会社の状況を見て、私は、オーナー一族を「社員を自分の目的を達成するための駒として扱っている」と見なし、経営層は「自己保身のために悪魔に魂を売った人たち」だと断じて、自分と彼らとの間に「対立構造」をつくり上げてしまっていました。

社内には改革の味方がいないと思い込んでいた

階層別研修等でたくさんの社員と接していたにもかかわらず、社内には改革の味方がいないと思い込んでいたので、本音で話をするのは社外の研修会社やコンサルティング会社の人たちばかり。そこでは会社の悪い点、改革しなければならない点ばかりを議論し、会社の良い点などにはほとんど目を向けることができませんでした。

当時は、スコラ・コンサルトが提唱する「コアネットワーク」という概念も知らなかったので、「会社をよくしたい」という本気の思いを持った仲間たちを見つけて、インフォーマルにつなげるという動きも十分にできず、自分とわずかな社内外の協力者だけで変革を実現するんだ、と意気込んでいたのです。

腐りきった会社を抜本的に改革しなければならない

そんな偏った意気込みの中から生まれる企画といえば「腐りきった会社を抜本的に改革しなければならない」という趣旨が見え隠れして、会社の抱える問題の本質に切り込もうとすればするほど、事を荒立てたくないと考える周りからの風当たりは強くなりました(それでも何とか実現できたことも多くありましたが…)。

自分の中でつくり上げた「対立構造」は、自分の信念が間違っていないと思えば思うほど強固になっていきます。
人事部が役員から食事に誘われた時も、私は(普段は飲む)お酒を一滴も飲まず、話しかけられてもほとんど無言、人としては最低ともいえる態度を取っていました。今考えると、会社の将来を本気で話し合う絶好の機会だったのに、敵対的な感情にとらわれて、本来あるべき姿を完全に見失ってしまっていました。

変革に取り組んでいま思うこと

こんな自分は保守的な風土の会社にとっては扱いづらく、煙たい存在だったことでしょう。最後は子会社のお客様相談室に異動となり、ストレスで咳が止まらなくなったり、ぎっくり腰になったりしました。

自分はいったい何のために組織をよくしたいと思っていたのか。自社の商品・サービスを購入するお客様のため? 風土の悪化した組織で苦しむ社員を解放するため? 自分の力で変革を起こしたという達成感を得たいため?
いずれにしても私は、「何のためにやっているのか」という問いを置き去りにして動いていたのだと思います。

会社がどんどん衰退していく状況を見て、オーナーはどういう気持ちだったのか。部下に理不尽な指示・命令を出さなくてはならない役員やミドルはどんな思いだったのか。社員たちは日々何を考えていたのか。そして、自分はどうだったのか。

もしかしたら「変革」とは、そんな答えのないさまざまな問いを自分に、そして自分たちに問い続けるプロセスそのものなのかもしれません。答えがないから、いつも揺れ動いている不安はあります。
でも、対話と協力で進める変革の先には、あきらめの中には決して生まれ得ない可能性があると思うから、人生を賭けてチャレンジする価値があると思っています。