価値観をともにしていくプロセス

その流域にある小さな町で、日本列島在来種の木曽馬と道産子を育てて「地域馬」を再生しようとする「かんな馬の会」というグループがある。そこでこんな話を聞いた。

「馬術には常歩(なみあし)、速歩(はやあし)、駈歩(かけあし)という言葉があるけれど、馬にとっての常態は佇む(たたずむ)ことです。草原に佇み、草を食む。あるいは何もせずにそこにいる。それがまず自然な姿です。だから、馬のトレーニングもそこから始まります。馬が佇む。そのそばに我々も佇む。首や腹にブラシをかける。丹念にブラシをかける。ぎゅうっと手のひらを押しつける。そうして、そばにいることから始めるのです」

それは何もしないでいることとは違う。

むしろ、そばにいながら、人と馬の間でたくさんの対話がなされている。自分の側に立ってくれる、ちゃんと見て手をかけてくれる、無理に何かをさせようとしない…、馬がそう感じることのできる数々の言葉が交わされて、お互いの気持ちは通い合う。少しずつ少しずつ信頼関係が築かれていくプロセスであり、価値観をともにしていくプロセスなのである。

これは育成の第一歩であると同時に、終わることのない基本でもある。

現場マネジメントの不在

企業風土改革の最前線にいて、近年とくに思うのは「現場マネジメント」とでも言うべきものの不在である。
キレイな言葉の正しきビジョンは多くの企業で語られている。顧客を最上位に置き、次に現場社員、その下に現場を支援するマネジャーがいて、一番下に社員すべてを支援する経営を置くという理想形の「逆ピラミッド」も、世の中では一般的だ。しかし、それを可能にするのは、現場が顧客に合わせて自らの判断で動くスタイルの組織であり、その条件として、すべての現場に「ちゃんと伝わる言葉で伝え、チームを動かすことのできるリーダー」が必要となる。

そのようなリーダーの不在が原因で、立派な理念や優れた戦略が実現に至らないケースが増えているように思う。

人と人との真剣な対話

しかし、それはなにも大仰な難しいマネジメント術ではない。

たとえば、私が出会ったあるカフェチェーンの店長は「スタッフを動かす秘訣はなんですか?」と聞かれて、「肩を並べて一緒に働くことじゃないですかねえ」と答えた。

あるサービス業の接客訓練担当の女性は、「新人トレーニングの成功は、中堅社員のみなさんが現場へ歩いて出て、現場でスタッフに声をかけるかどうかにかかっている。それを社員の仕事だと思ってほしい」と声を大にして訴えていた。

あるディーラーでは、エリア統括の部長について現場社員からこんなことを聞いた。「部長は誰よりも現場を見ています。僕が車を売ったら、すぐさま電話してきて『やったな!』と言ってくれます。隣町の店にいるのに、どこで聞くのか不思議なくらいすぐにです」

 

彼らはみんな、現場マネジメントの要諦を知っている人たちだ。すなわち、顧客と接する現場の人間にしか創造しえない仕事がどれほどあるか、仕事を任され本気になった現場がどれほどの力を発揮するか、ということを知っている。その確信があるから、じっくりと相談にのる、ともに汗を流す、言葉なく見守る。それらこそ、じつは本当の対話である。人と人との真剣な対話である。

マネジメントを語るノウハウはたくさんあるが、思えば、その第一歩にして奥深い基本とは「そばに佇む行為」なのだと思う。