かつて地方の自治体組織で働いていた私にとって、ごく身近だった地域との関わり。スコラ・コンサルト入社後も九州・福岡を拠点に仕事を続けてきた。さらに、「地域」とのつきあいに本腰を入れ始めてから2年近くになる。 その間、企業組織を支援するプロセスデザイナーとして、人を生かす関わり方や集まり方、物事の進め方などを学ぶにつれ、「地域活動」に対する私の見方も変わってきた。
ここでは、その地域が持つ「カオス」のリアルと、私たちが組織の現場で培ってきた対話の手法を持ち込んでみて見えてきたことを取り上げてみたい。
地域で何かの活動を続けることは、思っているより、ずっと難しい。 賑わうイベントや温かいコミュニティの写真がSNSに溢れかえる一方で、その裏側では、誰かが燃え尽き、誰かが静かに離れ、誰かが「もうやめようか」と思いながら続けている。
企業や行政の組織なら、計画や目標、体制や仕組みがある。上司や同僚に相談できる。評価がある。しかし、多様な個人が発起して地場でオープンに進めていく諸活動には、そういうものがない。あるのは、それぞれの意志と、もろい人間関係と、いつ消えるかわからない熱量だけだ。
この“人だのみの脆弱さ”を、地域社会が持つ「課題」と呼ぶのは簡単だ。しかし私は最近、別の見方をするようになった。このカオスこそが、地域の本質かもしれない、と。
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地域活動に関わる人たちを観察していると、あるパターンに気づく。行政や企業の側から地域に入ってきた人ほど、最初に「仕組みをつくろう」とする。
趣意書を作成し、役割分担を決め、目標を設定し、PDCAを回そうとする。組織の論理で、地域の活動を管理しようとする傾向が目立つのだ。
そうなる気持ちはわかる。カオスは不安だ。誰が何をやっているのかわからない、決定権がどこにあるのかわからない、次のミーティングに誰が来るのかもわからない。そういう状態に慣れていない人間にとって、地域は「無秩序で機能していない組織」のように見える。 しかし、そこにワナがある。
自治体としての括りはあるものの、地域は“組織”ではない。ミッションを共有して集まった集団でも、雇用契約で結ばれた集団でもない。個々が、それぞれの動機で、自分のペースで活動している。その前提を無視して組織の論理を持ち込むと、最初は形として整っていくかに見えても、やがて人が離れていく。 「なんか窮屈になった」「楽しくなくなった」という言葉とともに。
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正直なところ、地域活動の現場は、かなり混乱している。 まず、活動のほとんどが属人的だ。 たとえば、一つの活動は、ある人が10年かけて築いた人間関係と信頼の上に成り立っている。だから、その人が抜けると、人と一緒に活動も丸ごと消える。 当然、組織なら「属人化を排除せよ」となるだろう。 しかし、地域では属人性こそが活動の源泉だったりする。“その人”だから信頼される、人が集まる。それを仕組みに置き換えた瞬間、何か大切なものが抜け落ちる。
次に、権限の二重構造がある。 地域では、表向きのリーダーと、実質的な影響力を持つ人がしばしば一致しない。長年その地域にいる人、顔が広い人、声の大きい人などが、意図せず場を支配してしまうことがあり、新しく入ってきた人が意見を言えない、若い人が動けない。これは地域の共同体社会が持つ閉鎖性の問題でもあるが、構造的に避けにくい側面もある。
そして何より、動機が揺れる。 地域活動に給料はない。評価制度もない。それを続ける理由は、常に自分の内側から調達しなければならない。ところが、その内なる声は、経済や環境や体調や人間関係によって驚くほど簡単に変わる。昨日まで「これが自分の使命だ」と言っていた人が、今日は「なぜやっているのかわからなくなった」と言う。それが地域活動の正直な姿だ。
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