残業や部門間の壁を解決するための風土改革

三浦工業は小型貫流ボイラー事業でのトップシェアを誇り、食品加工機械などでも高いシェアを持つ。「テクノサービス」という言葉を創業者の三浦保社長が作り、1970年代から販売したボイラー等の保守、管理、そして故障を未然に防ぐ“ビフォアメンテナンス”を組み込んだビジネスモデルでシェアを拡大してきた。

1989年には常時ネットワークで機器の状態を監視する“オンラインメンテナンス”(商標登録済み)を開始。現在、日本と世界で55,000台以上のオンラインメンテナンス契約を持ち、3年間の契約更新は約9割と高いリピート率を誇る。「メンテナンスに力を入れて継続的にお客様と接することによって担当する企業や業界の変化にもいち早く対応することができます。何事にもスピード感があるのが当社の特徴です」と専務執行役員COOの西原正勝さんは話す。

創業以来、増収増益を続けている同社だが、1989年、40年間社長を務めた三浦保氏の後を継いだ白石省三社長は、「三浦工業が持つ強みはそのままで、より強くするためには、利益重視だけではうまくいかないのではないか」と考え、2002年ごろから風土改革に取り組み始めた(図 1)。

三浦工業 風土改革の歴史

図1三浦工業 風土改革の歴史

当時、とくに問題となっていたのは残業の多さだった。営業部門もメンテナンス部門も客先に行くことが重要視されたため、昼間に職場に居づらく、夕方、ほぼ全員が同じくらいの時刻に帰社して事務仕事を始めていた。「会社が大きくなるにつれ、上司が部下の話をしっかりと聴くことが少なくなりました」(西原さん)。

また、部門間の連携の弱さも課題だった。西原さんは「それまで強いリーダーシップを発揮する上司がいて、業績が伸びていましたから、自分たちのやり方を変える必要はない、という意識が強かったですね。忙しくなって、自部門のことにしか目が向かず、他部門との連携が不足していました」と話す。

その同社は2004年に三浦工業、プロテック、インターナショナル3社に分社した(2008年に再統合)。「そうすると今度は他社のことは、それこそ他人事になってしまいました」(西原さん)。

社長自らが社員に経営理念や思いを語る場を設け、風土改革を実行
白石社長、そして2004年に就任した高橋祐二社長が意識したのは、“経営側から社内にあえてゆらぎを起こし、問題・課題の顕在化と解決を繰り返しながら、組織を強くしていく”ことだった(図 2)。

図2 問題を先取りして改善する仕組み

その問題・課題の顕在化のツールとして使ったのが、社員満足度調査(ES調査)、自らが取り組みたい仕事や将来の目標を会社に伝えるチャレンジシート、人事部長からのフィードバックを受け取る人事部長直送シート、マネジメント研修、オフサイトミーティングなどであった。

中でも経営陣が重視していたのが、マネジメント研修とオフサイトミーティングだ。同社のマネジメント研修は、単に社員のマネジメント能力アップを目指すものではない。全役職者を対象に階層別に一つのテーマで研修を行い、そこで社長自らが経営理念や成長戦略、思いを語る場としたのだ。トップ自ら社員に直接メッセージを届け、研修後の懇親会や二次会にも参加して社員と対話した。

もうひとつ特徴的なのは、研修の実施やオフサイトミーティングの支援を行う人事・研修の担当事務局を風土改革の鍵を握る存在と位置づけたことだ。部門スポンサー、拠点のスポンサーやキーマン、さらには外部世話人としてのスコラ社を経営陣と常に情報を共有する“活動支援ネットワーク”と位置づけて組織体制を整えたことも大きな特徴といえるだろう。

なお、このマネジメント研修は2006年から現在まで年間10回ほど、トータルでは110回ほど開催されており、社員満足度の高さにもつながっている(社員の生の声を集める就職・転職サイト「リクルート VORKERS」の調査による。同社は2016年の総合評価ランキングで、「すべての業界」61, 592件中48位、機械関連業界2,227件中1位であり、とくに「研修」の満足度が高い)。