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たとえば、この週明けに急展開を見せた財務省理財局による決裁文書改ざんの問題。何の目的で書き換えられたのかをめぐり、“背景に「指示や忖度」がなかったのか”(朝日新聞) “政治の働きかけや官僚の忖度があったのかどうかが焦点”(日経新聞)と複数紙が報じています。

このような忖度は、序列意識があることによって起こりやすくなっているのは間違いありません。

体育会系出身者が企業に好まれるわけ

もっと身近なところでわかりやすいのは、体育会系の集団である運動部です。少々の理不尽があっても先輩の言うことには従うといった絶対的な先輩後輩関係は、縦社会の序列意識の反映です。
そこまで極端ではなくとも、集団生活における先輩後輩という上下意識は、当たり前のこととして私たちの中に組み込まれているのです。

このような意識は、何かルールがあるから生まれたものではなく、一種の美意識として染みついているものです。
最近ではパワハラとみなされるようになった上下の力関係に由来する問題も、今までの日本社会では“上に黙って従う忠実さ”や“謙虚さ”が美徳とされてきたために、その本質を問われることは基本的になかったのです。

こうした忠節というタテマエを不文律にして集団をまとめ、組織力として活用してきたのが昭和時代の企業組織です。

たとえば国策企業のような長い歴史を持つ企業ほど、組織への忠節を前提とする序列意識が生きています。
経営トップを頂点とするそれらの官僚的な組織には、上下関係、役職や格を尊重する価値観、それに基づく形式主義の文化などが特徴的に見られます。
年次や出身大学などを大切にする慣例をはじめとして、日常的には、会議の形式やそれを取りまく手続き・調整などの慣例、階層を踏んでいく報告や具申の仕方など、形式要件重視の考え方にもそれは強く表れています。

もちろん、企業における序列意識は、ただ慣習として残存してきたわけではありません。
組織において指示命令を徹底しようとするとき、それは非常に有効に機能したのです。

それゆえ、昭和の高度経済成長期には、縦社会の規律を重んじる体育会系の新卒社員を企業は好んで採用してきました。
そして、そういう人材が重用、評価されることによって、立場をわきまえる、出過ぎた真似をしない、上位者には黙って従う、といった行動規範が美徳として組織人のスタンダードになってきたのです。

「タテマエ」に縛られた現場は自制的に行動する

日本における企業人にとって、上下関係、役職や立場、格を尊重することは、当たり前の社員の条件です。
その表れとしてよく聞かれる言葉には、以下のようなものがあります。

  • 会社なのだから上の言うことには逆らえない
  • 上司がいいと認めたものが「正解」になる
  • 上の人がどう言うかが判断の決め手
  • 上の人が期待する答えを探るのが仕事
  • 自分の立場をわきまえてものを言う
  • 上司の許可なく勝手に動いてはならない
  • 出過ぎた余計なことはすべきではない
  • 聞かれたことには答えられるようにしておくべき

そこには、「上の指示に従うことで忠節を尽くす」というタテマエが部下の立場で翻訳され、自制的な日常行動を生み出している状況が浮かんで見えます。
まさに不文律が組織を動かすOSとして機能し、個人の思考や行動をコントロールしている。
これを私たちは組織風土の問題と言っています。

ただ、こういう社員の自制的な行動が組織の規律と安定をつくり上げてきたのも、一方の事実です。
その限りでは、「上の指示に従うことで忠節を尽くす」というタテマエは重要な役割を果たしてきたのです。

では、何が問題なのでしょう。

言われたことをきちんと実行するだけで会社がやっていけるという環境なら、何も問題はない。しかし、今は世の中の動きが極めて早く、変化も激しい時代です。
上司だけの知恵で会社がやっていけたのは過去の話だ、という会社が確実に増えています。指示待ち姿勢ではなく、もっと社員からの発意、提案がほしい、というのが多くの経営者にとっての切実な願いなのです。

そうだとすれば、組織を動かすOSとして機能している「不文律」、つまり旧世代のOSにメスを入れていくことが必要になります。

企業の進化を阻んでいる〈不文律OS〉を転換する

注意が必要なのは、こうした日本企業では当たり前になっている忠節と上下関係を重んじる伝統は、他の先進諸国には見られない文化的特性だということです。
それは、あたかも戒律のように、しかも集団の“美意識”として定着しているがために、これまでなかなか問題として指摘されませんでした。

日本の企業人にとって、「会社に対して忠節を尽くす」というタテマエは、疑問の余地のないものです。忠節というのは必然的に序列構造をもたらします。
序列意識とそれを支える格式、言い換えれば、形式要件を必要以上に重んじるこの特性が、日本人の自由な思考や組織活動に大きな影響をもたらしてきたことは間違いありません。

自浄作用や自己変革とは無縁の閉鎖的な組織は、外部環境の変化に対応できず、国際的にも時代の流れにも取り残されていきます。
日本企業の“ガラパゴス化”は、このような組織のOSつまり組織風土が元凶になっています。

そういう意味で、組織風土はOS(基本ソフト)だと言っています。

このOSを古いままにし、アプリケーション、つまり制度やシステムをいくら新しくしても改革の効果は得られません。
日本企業の改革が遅々として進まないのは、OSのバージョンアップができていないこと、つまり組織に潜む序列意識や必要以上に形式要件を重視する「タテマエの世界」から抜け出せていないところに原因があるのです。
社員がタテマエに則って自らを律し、事実・現実とは無関係に動くという〈不文律OS〉を〈チームワークOS〉にバージョンアップしない限り、組織風土の問題は解消されません。

会社に対する忠節をタテマエとして持つことと、心の底から忠節を尽くすこととは違います。
タテマエとしての忠節は、あくまでタテマエでしかないのです。

いくらタテマエで忠節を唱えても、社員のロイヤリティ調査で高い数値が出てくることは期待できません。
そればかりか、タテマエとしての忠節は効力をしっかり発揮しているのに、エンゲージメントの調査は驚くほど低い結果が出る、コンプライアンス問題は多発する、といった一見矛盾したことが起こってしまうのです。

タテマエや格式に沿って安定を順守する世界から脱し、事実・現実に基づいて問題と向き合い続ける生成的な変化の世界への転換が必要です。
この転換を抜きにして、企業の変革対応力を高めることは不可能だということです。