ある企業で、「自分たちの事業を今後どのように良くしていくか」をテーマに議論していた時のことです。
具体的な活動案は出てくるのですが、根本から状況を変えるために最も重要な、メンバー同士の対話と議論が進みにくくなっている様子がうかがえました。

そこで私は、「そもそも、新しい組織をつくることで成したい、ありたい姿は何でしょうか?」と、質問をしました。
すると、ある人がこわばった表情を浮かべたのです。

気になって見ていると、その後のその人の意見は、言葉としてはまとまっているのですが、表情には別の感情が浮かんでいて、自分の発言に納得しているように見えません。
〈この人の心からの声が聞こえない、本心が見えない〉と感じました。

感情や本音を出し合うことで状況が良いほうに変われば、という思いで本質的な質問をしたはずが、この人にとっては責められているような、詰問のように感じられているのではないか。
私はその表情を見て心苦しくなりました。

まずは自分が問いかける前に〈聴く力〉が必要だということに、この一件で気づかされたのです。

「観察」で本音に近づく

では、話を聴くために何が必要か。

私は、「聴こう」と意識するのをやめて〈観察すること〉に神経を集中することにしました。
聴くことを意識すると、知らず知らずのうちに“自分が主体”になって知りたいことを聞いてしまい、「質問が詰問」になってしまいます。
相手の側に立つ感覚が薄れてしまうのです。

〈観察〉を意識すると、“相手が主体”になり、自然に聴けるため、相手が構えないで話しやすい素直な質問をすることができるようになりました。
観察する際に私がポイントにしたのは、「その人が発する言葉の意味は何なのか」という一点です。
「意味」すなわち、その人が「発言した言葉の背景・事情」「心情(そのココロ)」です。

たとえば、社員のありたい姿について、「どの社員も基礎がしっかりしていること」という意見が出てきた時、「〇〇さんにとっての基礎ってどんなイメージですか?」と質問してみました。
すると、その人にとって基礎とは「一般的なビジネススキル」と「事業の基礎的な技術」の2つの要素を含んでいること。

そして、なぜそれを重視しているのかもわかったのです。
あいまいなままに聞き流しかけた中身をきちんと確認することで、具体的なイメージを共有することができました。

その後、議論はいきいきと展開され、最終的には具体的な実行案を合意するに至りました。
さらに興味深かったのは、質問された人の「話している時の表情が良い」ということでした。
そのあと、他の企業で同様の質問をした際も、聞かれた人は嬉しそうでした。

意味、そのココロを問うこと

意味、そのココロを問うことは、「もっと聞いてみたい」と相手に対して関心を示すこちらの姿勢を感じさせ、質問された側が、自分の言葉で語りやすくなるのではないか。
そして、発言者の表情が和らぐと、その後に発言する人もざっくばらんに話しやすくなり、お互いの距離も近づきます。
このことに気づけたのは私にとって大きな収穫でした。

観察することによって、相手の心情、言葉には出てこない心の声を聴くことができるようになれば、自分が相手に発するために選ぶ言葉も、接し方も変わるでしょう。
この一連の経験を通して、頭ではわかっているつもりのことでも「身をもって知る」ことは本当に大きいと実感しました。

小さな種から大きな木が育つように、〈表情・心情〉という種を見過ごさないことで、相手との関係性やその後どのように発展するのかも大きく変わり、対話の可能性も枝葉のように広がっていくのではないかと考えています。