「自己本位」と「相手本位」と「共生」との違い

ここでは、紺碧の海の色を乳白色に変えるほどのニシンの大産卵が行なわれる豊饒の海が広がっています。かつては、北海道でも同様の光景が見られたようで、1897年の100万トンをピークに漁獲量は減り続け、1950年以降は100トンを下回り、ロシアやカナダからの輸入が大半を占めるようになったということでした。
一時期、カナダのベインズ海峡でも北海道と同様に漁獲量の減少が起こったそうですが、「命には限りがある」という共存共栄の道を早期に選択できたことで、豊かな海洋資源、そして豊かな漁業生活が保たれているということでした。

この話で考えさせられたのは、「自己本位」と「相手本位」と「共生」との違いは何だろうか、ということでした。
自分ごととして考えても、人は突き詰めれば、自分の幸せのために生きているように思います。ただし、そのことと「自分本位」は同じなのでしょうか。

この3月11日の東日本大震災では、「交通や物流網のマヒ」「電力の供給不足」「水をはじめとする食料や生活物資の不足」など、今まで整っているのが当たり前だと思っていた社会や生活の環境が大きく変わりました。とりわけ大きく姿を変えたのは「未来」です。「いま」が大きく変わることで、内なる「未来」も変貌しました。自分の未来が「自分たちの未来」になったのです。

高度な情報化社会を生きている私たちは、デスク上で日本中、世界中の情報にふれ、膨大な知識や情報を思うがままに入手できるようになりました。そのことで、一人ひとりの生きるための力が大きなものになっているという錯覚にとらわれているのかもしれません。しかし、実際のところは、自分の生きていく能力が向上したのではなく、相互の依存による影響力、ある種の社会的な力が高まっているのではないかと考えるようになりました。

新たに生まれた力の使い方については答えを持ちません。それは他者との関係の中で、共有可能な価値や目的において試されるものなのかもしれません。

一緒に限界と境界を超えて生きていく力を持った組織づくり

震災後の救援や復旧のための支援は、国と国、自治体と自治体、自他の境界線を越えてかつてないほどの力が結集し、指示や計画よりも、思いや情報や行動が先んじてめざましいスピードでさまざまな動きが起こっているように感じています。これこそが、現代社会がひそかに育んできた力の正体なのではないでしょうか。

他者のため、自分たちの未来のために何かをしなければ自分も幸せにはなれないという焦燥に近い感覚に包まれて、自ずとお互いが限界と境界を超えている「いま」。
結局のところ、自分のために何かを得ようとしてきたのは、自分の満足のためだけではなく、力を得た自分が誰かの役に立つことの喜びを知っているからではないかと思います。そして、その機会や関係を持たないことの味気なさを知っているから、事が起こればすぐに気持ちが動くのかもしれません。

私たちスコラ・コンサルトは、これからも「人と人とが力を合わせて一緒に限界と境界を超えて生きていく力を持った組織づくり」に取り組んでいきたいと思います。

私たちが生まれ育ち、多くの恵みをもたらしてくれた日本、その一日も早い復興を、心から願っています。