もっとも、「若者」が注目されること自体は珍しいことではない。どの時代にも「最近の若者は…」という言説があり、「新人類」と呼ばれた世代がいたように、世代交代のたびに価値観の違いは語られてきた。
しかし、Z世代に対する関心は、単なる世代論や若者論にとどまらず、社会の構造そのものと結びついて語られている点に特徴がある。

本コラムでは、Z世代を一つの固定的な像として定義するのではなく、あくまで“当事者の視点”から、その内側にある感覚や思考の揺らぎを言語化し、Z世代という世代の輪郭をできるだけ立体的に捉えていきたい。

Z世代が注目されているのは、なぜ?

Z世代が注目される大きな理由の一つは、「デジタルネイティブ」であるという点だ。この世代は、物心ついた頃からインターネットやスマートフォンが身近に存在する環境で育ってきた。小学生の頃から、学校外の友人とチャットで会話をし、オンラインゲームを通じて他者とつながることが日常だった世代である。

デジタルが「新しい技術」ではなく、生活や人間関係の前提条件として組み込まれている。この点は、今後AIやデジタル技術が中心となる社会において、Z世代が単なる“適応者”ではなく、社会のルールやコミュニケーションの形を再定義する担い手として期待される背景にもなっている。

また、Z世代は価値観形成の早い段階から、環境問題や社会課題を意識する教育を受けてきた世代でもある。特に日本では、小学生の頃からSDGs教育に触れてきたことで、環境配慮や社会的責任を「意識の高い特別な行動」ではなく、「当たり前の前提」として捉えているケースが多い。
そのため、環境に配慮した商品を選んだり、社会課題に取り組む企業を応援したりする行動が、自己表現や消費行動と自然に結びついている。

ここで注意しておきたいのは、「Z世代」という言葉が、あまりにも一括りに使われやすいという点である。Z世代の中にも、育った環境、地域、家庭、デジタルとの距離感によって、多様な価値観や感覚が存在する。それぞれの「当たり前」は異なっていながらも、共通点と差異が複雑に入り混じっているのが、この世代の実態だろう。

コントロールできる多重人格?! ~「分人主義」の視点から

私には、少なくとも6つの人格がある。
友だちといる時のはしゃいだ自分、家族といる時の力の抜けた自分、仕事でバリバリ働いている時の自分……。どれも作り物ではなく、どれも間違いなく「私」だ。しかし、こうして並べてみると、その変わりようはなかなかに大きい。
この感覚をうまく言語化したのが、平野啓一郎氏の著書『私とは何か』で提唱された「分人主義」という概念である。

従来の個人主義では、人間は分割できない一つの統一的な存在であり、その中心には唯一の「本当の自分」があると考えられてきた。
一方、分人主義では、人は対人関係や環境ごとに異なる「分人」を持ち、それらすべてが「本当の自分」であると捉える。
この考え方を知った時、私は強い納得感を覚えた。むしろ、私たちが日常的に「一つの人格で生きようとすること」のほうが不自然なのではないか、とさえ思った。

私はこの分人主義を、「コントロールできる多重人格」と捉えている。
精神的に不安定で人格が分裂しているわけではない。むしろその逆で、状況に応じて自分の人格を意識的、あるいは無意識的に切り替えることができる状態だ。
まるでカメレオンのように、TPO(時・場所・場合)に応じて人格を使い分ける。そして、人格が変わること自体に強い違和感を抱かない。
それは“裏表がある”ことでも、“自分を偽っている”ことでもない。その場に最も適した自分でいようとする、自然な適応なのだ。

この感覚は、Z世代において特に顕著だと私は感じている。
場面や状況に合わせてさまざまな人格を使い分け、まるで毎日違う服を着るように人格を変えることを楽しんでいるかのようだ。

その背景には、デジタル技術の発達がある。
SNSやオンラインコミュニティの拡大によって、私たちはかつてないほど多くの「居場所」と「つながり」を持つようになった。学校、家庭、職場といった限られた場だけでなく、SNSのアカウントごと、コミュニティごとに異なる関係性が存在する。
居場所が増えれば、そこに適応する人格も増える。こうしてZ世代は、オンライン空間の拡張とともに、多層的な自己を形成してきたのではないだろうか。

InstagramやX(旧Twitter)の裏アカウントをつくる背景にも、人格の分裂が影響している。裏アカウントとは、限定された複数の友だちにだけ見せる専用のアカウントである。何気ない日常を共有するものもあれば、人間関係の悪口を投稿するものもある。いろいろな面を持つ人格を、いろんな居場所で発散することで自分というものを保っているのかもしれない。

そして彼らは、その人格の増殖を「分裂」ではなく「使い分け」として受け入れてきた。状況に応じて自分を切り替え、最も居心地の良い「分人」でいること。それはストレスを避けるための防衛反応であると同時に、複雑な社会を生き抜くための高度なスキルでもある。

このような柔軟な自己の変化こそが、分人主義の現代的な表れであり、Z世代の大きな特徴の一つだろう。
「一貫した自分」であることよりも、「状況に適応できる自分」であることが求められる時代において、Z世代はすでにその生き方を体得しているのかもしれない。

SNSは〈絵〉のように見る

若者がSNSをどのように捉えているのかを理解するには、Z世代とそれ以前の世代が、日常的にどのようなコンテンツを消費してきたのかを比較する必要がある。重要なのは、**何を見ているかだけでなく、同じものをどのように「受け取っているか」**という点だ。

「さっき、LINE送ったよ~」「おっけい、あとで見るね」
「この前インスタで見たカフェ、一緒に行ってみたいな」
「TikTokで最近流行ってるやつ、見た?」

Z世代同士の会話では、「見る」という言葉が自然に使われる。本来であれば、LINEのメッセージやSNSの投稿は「読む」と表現するほうが、日本語としては正確かもしれない。しかし、SNSの文脈において、「読む」は「見る」へと置き換えられている。
この言葉のズレには、Z世代のSNS認識が色濃く表れている。

彼らにとってSNSは、単なる情報伝達の手段ではない。文字情報を処理する場であると同時に、雰囲気や感情、世界観を直感的に受け取るビジュアル体験の場でもある。文章であっても、それは意味を一語一語読み解く対象というより、全体のトーンや空気感を「眺める」ものに近い。

言い換えれば、Z世代はSNSを「絵」のように見ている
そこでは情報の正確さ以上に、感覚的に心地よいかどうか、共感できるかどうかが重視される。

この変化の背景には、オンラインコミュニケーションの歴史的変遷がある。
2000年代後半から2010年代初頭にかけては、旧TwitterやLINEのように、文字情報を中心としたコミュニケーションが主流だった。しかし、Instagramの登場によって状況は大きく変わる。写真や動画を中心に、言葉を最小限に抑えたビジュアルコミュニケーションが若者の間で定着していった。

Instagramの普及によって、オンライン上のやりとりは「伝える」から「見せる」へとシフトした。その結果、SNSは読むものではなく、見るものだという感覚が、Z世代にとって自然な前提となっていったのである。

この感覚の違いが、世代間のコミュニケーションギャップとして表れる代表例が、いわゆる「おじLINE」だろう。
「おじLINE」とは、その名の通り、主に年上世代のLINEの文章スタイルを指す言葉である。

たとえば、
① 絵文字が独特で多い
② 一文が長く、スクロール量が多い
③ 話し言葉を書き言葉として使う
④ 文末にカタカナを用いる(ですネ、メシ)
⑤ 「。」で文章をきっちり閉じる

Z世代はこうした文体を、違和感やズレとして捉え、時に和歌を読むような感覚で一種のネタとして楽しむ。LINEという同じツールを使っていても、その中で共有されている「言語のルール」は、コミュニティごと、世代ごとに大きく異なる。

特に象徴的なのが、「マルハラ(句点ハラスメント)」という言葉の存在だ。
文末に「。」が付くだけで、冷たさや怒り、距離感を感じてしまう。この反応は、決して過剰でも、気にしすぎでもない。Z世代にとってテキストは、意味を伝える装置であると同時に、感情を可視化するサインでもあるからだ。
だからこそ、句点一つ、改行一つ、スタンプの有無といった些細な要素が、相手の感情や関係性を読み取る重要な手がかりになる。

このような言葉への高い感度は、オンライン上で常に他者の反応にさらされてきた世代ならではの価値観だと言えるだろう。
Z世代にとってSNSとは、文章を正しく読む場所ではない。雰囲気を感じ、感情を察し、世界観を「見る」場所なのである。

(後編につづく)

[参考文献]
宮本直樹 Z世代を読み解く(4)~若手のモチベーションを高めるコミュニケーション(2)~ (2024.4.16)
廣瀬涼 Z世代の消費を読み解く5つのキーワード (2023.4.17)