それでは、出社する回数が増えてきた現在の反応はというと、「通勤時間がしんどい」「出社しなくても問題ないのに、どうして行かなければならないんだろう?」など、また別の不満が生じているように思います。

状況が変わるたびに“今ここにないもの”を見て“それを解消すべき”と考えてしまう、まず足りないものに目が向いてしまう。
こうした傾向について考えてみると、日本人というのは無意識に「ないものねだり」が染みついている国民性なのかもしれません。
そういう「ないものねだり」は日常的にもお馴染みです。
たとえば話し合いの途中で、あれがない、これが必要だという話題になると、「そうだよね」「わかるわかる」と自然に共感が生まれるような場面も多く見受けられ、それで場が和んでいることもけっこうあります。

しかし、こうした「ないものねだり」の思考は、物事を一つの側面でしか見ないことにもつながります。そこに落とし穴はないでしょうか?

「ないもの」ばかりを見ていると全体像を見失う

自分の経験としても思い当たることがあります。
学校のテストの時に、苦手な分野を克服しようとして頑張っていた頃のこと。
先生や親から「不得手な分野をなんとかするように」と言われ、その対策ばかりに集中しているうちに、本来得意だった分野の勉強がおろそかになり、全体の点数がかえって悪くなってしまったことがありました。

全体の成績が下がってしまっては本末転倒です。
なぜそんなことになったのかを今ふり返ってみると、(今はだいぶ変わってきていると聞きますが)私の時代は、先生が生徒を指導する時も、親が子どもをしつける時も、「足りないもの」を取り上げてモグラ叩きのように潰していくことをよしとする価値観がありました。

その根底には、暗にものをみる前提として“全方位バランス型の理想形”みたいなものがあります。
そこから「玉にキズ」とか「これさえなければ満点」とか引き算をして矯正する、つねに「足りないもの」をマークする思考のクセが身についてしまっているのではないかと思います。

「サーベイ結果」を「よりよい組織」につなぐ、新たな思考習慣とは

私は、従業員サーベイの結果を用いた対話型の組織開発を支援していますが、そこでも似たような印象を持つことがよくあります。

全社でサーベイを実施しているものの、その結果をうまく運用・活用できておらず、問題解決の糸口を探っている企業は少なくありません。
足踏みをするサーベイ運用としてありがちなのは、「スコアの低い項目の数値を上げるにはどうしたらいいか」という点に注目し、状況対応的に解決策を講じてしまっているケースです。

このマイナス部分を埋めることを焦点にしたアプローチは、私の試験対策と同じ危険性をはらんでいます。
「ないもの(スコアの低い項目)」ばかりに注目し、戦略・ビジョンや意志、何をめざして、どういう組織になりたいのかという全体を見る習慣が不足しているのです。

「スコアの低い項目」の数値を上げたとしても、組織全体のスコアが高くなるとは限りません。ましてや、よりよい組織に近づく保証はありません。

よりよい組織に向かうためには、全体像、つまり「あるもの」にも「ないもの」にもしっかり目を向けた上で、“どういう組織にしていきたいか”という「ありたい姿」を描くことが欠かせません。
「ありたい姿」を持っていないと、「ないもの」だけを追い求めることになってしまいます。
「スコアを上げるにはどうしたらいいか」と考えて、短所是正的な施策を講じる部分最適に終わってしまうのです。

そういう見方のもとに、私たちはサーベイ活用の後工程として、以下のようなアプローチをしています。

①「今ここにあるもの」「今ここにないもの」を含めて、組織のメンバーで現状認識を出し合う
②みんなで事業と組織の「ありたい姿」を描く
③「ありたい姿」に向かうために本当に必要な課題を考え、優先順位をつけて具体化・実行していく

前に述べたように多くの場合、最も見落とされがちで、かつ最も重要だと感じて私たちが力を入れているのは、②の「ありたい姿を描く」です。

まず、みんなの情報や意見を重ね合わせて「ありたい姿」を描き出す。
それに向かって、「今あるもの」で伸ばしたい、注力していくべきものは何かを考える。
同じように、それに向かうために必要だけれど「今ないもの、足りないもの」があれば、それを補強していくことを考える。
全体を見ながら、あるものを生かし、ないものを強化するために知恵をめぐらせる、このプロセスが非常に重要なのです。

“どうありたい”から始めて、そこに向かうために「今あるもの」と「今ないもの」に目を向け、組織進化の過程での課題を創出していく。
これは不確かな今の環境の中で身につけたい、新たな思考のクセでもあります。

「ないもの」に引っ張られて全体としての進化の要素を失ってしまう、それこそが「ないものねだり」の落とし穴なのではないでしょうか。