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産業の発展を牽引してきた「機械論」
近代科学、そして産業を成功に導いてきた還元論的機械論にもとづく科学的方法論は、「機械論」としての性格上、単純化でき、定量的に測れるモノを対象にしてきた。言い換えれば、人間および人間の精神や意志のような(複雑であいまいなものが持つ)定性的な側面を科学の対象から外すことで成立しているのが機械論である。
この方法論は、“定性的なものを捨象する”という制約をはらみながらも、とくに19世紀から20世紀にかけて、現代文明を形づくる科学上の数多くの成果を私たち人類にもたらし、産業を発展させる原動力としての役割を果たしてきた。(機械論的方法論の系譜上にあると考えられるロジカルシンキングが今もなお大きな影響力を持っているのも、そうした事情を背景にしている)。
還元論的機械論にもとづく科学的方法論で成果を挙げてきた分野はたくさんあるが、おもに工学、とくに生産に関わる分野にその成果は著しい。
数値的な管理をすることで経済効果を高めることが可能な機械工学等の分野もそうだし、物質的な対象を分割(分解・分析)していくことで、成果物を均一に量産し得るような分野などがそれである。
機械に則した性格を「ヒト」および組織にも求めることからくる問題点
「定量的に計測可能であること」が、機械論にもとづく科学的方法論の対象であるための条件だが、現実には、いかなる企業の生産活動も研究活動も、人間という“あいまい性を有する存在”が介在し、役割を果たすことなくして機能することはない。
にもかかわらず、還元論的機械論にもとづく科学的方法論が近代科学および産業を成功に導くことができたのは、定量化しがたい人間を、機械の一部とみなして扱うことが可能だったからである。
(皮肉なことだが)人間というのは、自ら機械のごとくふるまうことをも可能なほど柔軟な生き物だということだ。人間が機械機構の一部として機能することさえ可能であれば、人間が絡むシステムであっても限りなく定量的に結果をコントロールできる。つまり、機械論的な科学的方法論は成立し得るのだ。
しかし、この方法論、さらにはそれにもとづく組織原理が主流になることで、企業において、もともと機械ではない人間が機械論的組織原理の下で“機械のようにふるまう”こと、つまり「建前を優先すること」が常に要求されることになった。
その弊害は、低成長時代に突入するとともに、人間の集合体である「組織」が指示なしでは動かない、という組織の硬直化問題となって顕著に表れてきている。とりわけ、新卒一斉採用によって就職時から全人格を企業の中に取り込まれがちな日本企業に、その傾向が強く表れてきているのが今の時代である。
機械論的組織原理が主流になると「建前優先」の精神論が横行する
では、ヒトを機械のごとく見なす組織原理で組織が運営されることによって、具体的にどういうことが起こっているのだろうか。
組織原理としての機械論は、そもそも「建前」を前提として成り立っている“人間を機械として扱う方法論”である。人間を「機械と同じような正確さをもつ存在」とみなすことは、指示情報を人間に正確にインプットすれば、予定どおり正確なアウトプットが出るはず、という「建前」が前提になっている。
言うまでもなく、建前というのは「事実」そのものではない。正しいとされている「見解」である。
現実の人間は機械と違って、意思や感情の波がある。しかも、関心や思いを持って生きているから、情報をいくら正しく論理的にインプットしても、共感できる内容、関心を持っていない内容はキャッチせずにスルーしてしまう。とはいえ、建前どおりにふるまおうと努力することができるのも、また人間である。
ただ、現実は、ほとんど建前どおりにはならない。その結果、不足している人間に対し、叱咤激励を繰り返すという精神文化が生まれる。
ということは、機械論的科学的方法論は、モノを対象にしたある制約条件下では、分析的見地から事実を直視することによって科学上の成果をもたらしてきたが、その一方、人間を直接に扱う組織原理においては、事実よりも建前優先の姿勢を持つ、という“ゆがんだ側面”を含んだまま発達してきたのが、この組織原理の本質だといえる。
重厚長大組織が成り立っている組織原理
最近では、実際に人間が介在する場合、情報が指示どおりに伝わるためには、話し合いや相談という言葉で表現される「情報の双方向性」の担保が補完機能として不可欠であることが当たり前に認識されてきている。
機械論的組織原理をベースにしながらも、人間重視の傾向をあわせ持つベンチャー的要素を持つ組織では、昨今、この種の補完機能は当たり前に見られるようになってきた。
しかし残念なことに、機械論的建前が主流を占めがちな重厚長大産業の大組織などでは「組織の安定を何よりも大切にする」という価値観が支配的であり、この問題がもたらす弊害が十分に理解されていないために、この種の補完機能はそれほど重視されるようにはなっていない。
重厚長大組織の機械論的組織原理の下では、最も価値があるとされているのが建前である。この建前中心に構築された精神論が組織の安定性を担保している。
この世界では、「建前マイナス現実」が「問題」であり、努力して克服すべき対象は「問題」である。そして、うまくいかないのは努力が不足しているためだ、とされる。建前に向けてひたすら努力を続けなくてはならない存在が人間、これが機械論的組織原理にもとづく精神論の世界である。
この世界では、傍観者、評論家が生まれやすい。
しかし、機械論的組織原理の世界には「建前」という絶対的な答えがあるため、組織は安定しやすい。それと同時に、すでに経験したことが是とされるため、どうしても「前例のないことは避ける」といった傾向が起こりやすい。
大企業不祥事に共通する(人が部品として扱われることからくる)根源的な問題
経済が成長期にあるとき、人間は機械のように扱われても相応の報酬が得られ、未来への希望があり、また管理も今のように厳しくなかったためにゆとりもあり、この弊害が大きく表面化してくることはなかった。
しかし、資本主義が成熟期に入ると、その弊害はさまざまな場面で顕在化してくる。
近年、名だたる企業に多発しているコンプライアンス問題も、そこに原因を見いだすことができる。その根源的な問題は、人間を機械とみなす建前中心の機械論的な組織原理と価値観が、企業とそこに働く人間を支配しているがゆえにもたらされた事態である。
人間を部品のごとく見なし、機械機構の一部として機能させ、建前優先の組織原理が定着している現在の企業社会。この企業社会を支配する組織原理そのものに根源的な問題は潜んでいる、という認識を目的意識的に共有することこそ自力再生の出発点となる。
重厚長大であるほど、組織が大きければ大きいほど、そこに属する人間は全人格的に組織に組み込まれがちである。
そこには機械のごとく無機質にふるまうことを是とする建前優先の組織原理が厳然として存在し、強力な安定感を組織にもたらしてきた。それと同時に、多発するコンプライアンス問題やメンタル不全の人たちを発生させる土壌を形成してきている。
この拡大成長時代適応型の昭和的企業が抱える根源的な問題と明確な目的意識を持って向き合い、根治治療に向かっていくことがなければ、コンプライアンス問題などの再発を防ぐことは不可能である。
機械論的な組織原理による価値意識がイノベーションの芽を摘み取る
機械論的に言えば、「混乱」という概念は、可能な限り回避すべきものである。トラブルは「なくすべきもの」であり、失敗は「してはならないもの」である。そして、多くの場合、こうした主張は声高に建前もしくは“あるべき論”として大上段に振りかざされる。
現実には、トラブルは必ず起きる。そこでは、さまざまなイレギュラー情報が錯綜し、居合わせた人々は、通常よりも関心の感度を鋭く立てている。この機会をうまくマネジメントする力を持っていれば、トラブルや失敗は、現状を革新していくイノベーションの可能性を増大させるチャンスでもある。
しかし、あるべき論が振りかざされていると、現実を直視しながら学ぶ姿勢を持つことは難しい。
同じく、「バラツキ」という概念もそうだ。バラツキは機械論的にいえば、単純に「なくすべき対象」である。
安定性を担保することのみが優先され、平均値が重視される機械論では、そうしたバラツキの持つ意味が捨象されやすい。「全社一斉」という考え方、進め方などはその典型だろう。
しかし、個々のバラツキが持つ意味を深く探求する姿勢さえ持っていれば、そこから新たな問題提起や問題解決の切り口、新しい価値のタネが見つかる可能性も多いのだ。
基盤として機能する機械論の果たしてきた歴史的な役割を認識し、正しく評価することは必要だ。ただし、定量化しにくい、あいまいさのあるヒトというものや、その他の目に見えにくいものを対象として取り扱うには、機械論では不十分なのである。
機械論が主流になるとメンタルに問題を抱える人が多発する
ヒトを機械のごとく見なし、対象を効率よく、管理しやすく多数の部分に分割する、というのも機械論的な組織原理のひとつである。
近代化された組織は、高度な分業によって成り立っている。必要なだけ多数に分割することで、効率よく機能することは事実である。
問題は、バブル崩壊後の日本企業のように、徹底的な効率化の下に進められてきた分業化が、個々のつながりまでも分断して、周りに無関心な孤立状態を生み出し、全体最適を大きく阻害していることである。
このことは、組織の生産性を著しく低下させる要因になっている。
そういう意味で、無定見に分業化をただ進めるという行為は、これからの企業にとっては、一見効率的であるかのように見えても、全体最適を阻害し、メンタルに問題を抱える人間を増やすという意味で、企業にとってまさに自殺的な行為であることは間違いない。
分業組織の中に、いかにして協力関係を築いていくのか、分業化を進める一方で、常に協力関係を強化するという意識をもたねばならないことはよく論じられているテーマである。
にもかかわらず、機械論に支配されている組織では、そういうことがまったくできなくなってしまうのが現実なのだ。
(本稿は2016年に書かれたものです)
(つづく)
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