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思考の進化は「試行錯誤」から~停止した思考を再起動するための新たな仕組みづくりへ

人間というのは信じられないほどの可能性を秘めた生き物です。そんな可能性を秘めている人間だからこそ、人類の長い歴史の中で絶え間ない進化を遂げてきたのです。
そして、思考力という面で人類に加速度的な進化をもたらし、人間を人間らしく生きられるようにしたのが「資本主義」という仕組みだと私は考えています。

なぜ資本主義なのか。それは、私有財産と自由競争をベースにした資本主義というものが「やってみて、うまくいかなければやり直す」という「試行錯誤を当たり前にする思考・行動様式」を初めて社会に仕組みとして取り込んだからです。
市場に求められる、よりよい何かを創り上げていこうと思えば、「見えていない答え(仮説)」を仮置きしては「試行錯誤」することの繰り返しがどうしても必要になります。
このような中身の濃い「試行錯誤」が、人間の思考を進化させてきたのです。

資本主義以前の封建社会は、身分制のようなきちんとした「枠」を仕組み化することによって安定を保持してきました。しかし、資本主義はその「枠」とは本質的に異なる、需要と供給が呼び起こす等価交換という「軸」を起点に、仕組みとしての「試行錯誤」を社会の中に包含してきたのです。
つまり、誰でも意志さえあれば、市場に参入して競争のための「試行錯誤」をすることが可能になったわけです。

そういう意味では、人類の長い歴史の中で、資本主義が「試行錯誤」を社会に取り込むことによって、私たちの「考える力」というものが飛躍的に強化されてきたのではないか、と私は考えています。

“対話”とは、まさにこのような「試行錯誤」をより質の高いものに導くものであり、人間の思考力を鍛えるには最適のシチュエーションでもあるのです。

ところが、前編で述べたように、日本の大企業の公式会議のほとんどには、「真の問題とは何か」という問いに向き合い、深く掘り下げていく〈拓く場〉としての“対話”が欠如しています。その結果として、「やってみて、うまくいかなければやり直す」のが当たり前の「試行錯誤」が排除されているのです。

「試行錯誤」の欠如が意味しているのは、本質をあぶり出す力の弱さ、思考の進化が停止した状態です。そのことが、たとえば能力が高いはずの日本人がGAFAMなどのトップにはいない、という事実につながっているようにも思います。

〈拓く場〉では、何について話し合うのか?テーマ例:サーベイの自由記述を「社員の声」として経営に生かす

人的資本経営に資する〈拓く場〉での「質の高い対話」は、予定調和の会議に慣れ親しんできた経営に、新たな思考の体験をもたらします。
ある上場企業で、仕組みとして、プロセスの試行錯誤をやっている例を取り上げてみましょう。

A社では、ここ数年、経営陣が率先してオフサイトミーティング形式の〈拓く場〉での議論を続けてきました。
「そもそも何が問題なのか」を掘り下げてとことん考え抜き、意見をぶつけ合って新たな価値を生み出していく対話を、まずは経営陣から実践し、習慣化していくことをめざすチームでの取り組みです。

〈拓く場〉の質を高めるためには「何について話し合うか」のテーマがカギになります。役員オフサイトミーティングで取り上げたのは、少し前に実施したエンゲージメントサーベイの結果についてでした。

最近の大企業では、従業員エンゲージメントサーベイが当たり前のように導入されています。人手不足の今の時代、エンゲージメントの向上は重要な経営課題になっています。
サーベイを通じて組織や人の課題が持つ本質を把握できれば、的を絞った対策や施策の手を打つことができます。とはいえ、従業員の意見については聞くだけ聞いて終わってしまい、逆に不興を買ってしまうケースも少なくないのです。

A社では、社長がサーベイ実施のタイミングで社員に向けて「みなさんの自由記述のコメントは必ず読むのでぜひ書いてほしい」という思いを込めたメッセージを出しました。その効果もあり、過去と比較して自由記述の記入者の数はぐんと増えました。
その中には辛辣な会社批判や現状への不満、サーベイ結果を生かした経営の動きが見られないなどの厳しい指摘も目につきます。本当に社員のためと思うなら、これを知ってほしい、ここを見てほしい、改善してほしいといった熱い意見もありました。

サーベイは、組織に内在する問題を顕在化し得るツールです。
返ってきた社員のコメントを前にして、経営陣は、3000件以上もある社員の赤裸々な声を生かせば会社を良くするヒントが見つかるのではないか、と考えました。そして、役員オフサイトミーティングでは、その仮説をもとに議論を始めることにしたのです。

問いと向き合い、議論を深めていくための「準備」をする事務局~プロセスを考え抜く事務局と役員ミーティングの相互作用をつくる

そこでの議論の最初の目的は、サーベイの結果や自由記述に書かれた社員の声から「根底にある本質的な問題」をあぶり出し、「経営にしかできない課題」を見いだすことでした。そこから解決に至る道筋を自分たちで考えて実行に移す、という試行錯誤を繰り返すのです。

こうした簡単には答えの出ない議論に意味を感じ始めている役員ですから、初回の議論に向けては、膨大な量のコメントを全員が休日も使って読み込み、それぞれが気になるコメントを抜き書きして持ち寄りました。なぜ気になったのか、それを取り上げた背景も共有しながら、抜き出したコメントをキーワード、キーフレーズごとに整理していきました。
これが繰り返される試行錯誤の最初の手がかりになります。

次の回では、分類したカテゴリーごとに、「なんでこんなことが起こるのだろう」「社員は、本当は何を言いたいのだろう」と深く掘り下げていきました。

問いと向き合って考え抜くことを大事にする議論は、なかなか設定した時間内には収まりません。自分が「これだ」と思うものを三つ、理由を考えながら選ぶという次のステップは次回までの宿題になりました。

試行錯誤につながる、こうした議論の質を高めるプロセスの準備は、〈拓く場〉の目的を共有した事務局が担います。事務局は、経営企画担当と人事担当の二人の役員を含めた6人。実動の中心となるメンバーは風土改革の活動の中で思考力と行動力を鍛えてきた、ものおじしない30代の女性たちです。

たとえば、役員が「自由記述を読み込み、気になるコメントを抜き出す」という最初のとっかかりとなる問題意識を引き出すために、メンバーは次のような問いを用意しました。
・現象面を捉えるのでなく、本質的な問題、問題の根っこはどこにあるのか
・回答者は当事者的な姿勢で書いているのか、そうではないのか
・経営者が変えるべきことなのか、社員自らが変えるべきことなのか

また、各回の間には「ふり返り」と「次の作戦」を考える事務局ミーティングを実施します。そこでは、「何をテーマに議論するか」「論点はどこか」「議論のスタイル」「場の進め方」など、メンバーのほうでも本番と変わらない熱量で議論を繰り返し、綿密に準備をします。
役員オフサイトミーティングと事務局ミーティングが二人三脚で、相互に試行錯誤を繰り返すことで〈拓く場〉の質は高まっていくのです。

経営が当事者としての姿勢で議論を重ねた結果、最終的に出てきた課題は、以下のようなものです。
1.進化の方向性を軸にした事業戦略
2.求められる人材像と成長のため環境づくり
3.1と2を実現するための“対話”の場(拓く場)

A社の経営陣は、これらの課題を実行するため、さらに〈拓く場〉の議論と試行錯誤を繰り返していくことになります。

経営陣が予定調和に陥ることなく「質の高い対話」を続け、〈拓く場〉の質を上げるために欠かせないのは、議論の質を左右するともいえる「現状の全体像を構造的に捉えた問題提起」です。この問題提起を、議論のための仮説として共有するステップを踏むことが不可欠なのです。
(議論の核ともなるこの仮説のたたき台として書いたのが、昨年出版した『日本的「勤勉」のワナ』です)。

このような議論のプロセスから、まだ見ぬ経営課題の仮説を見いだし続け、試行錯誤し続けることこそが、経営にとっての〈拓く場〉の意味なのです。