〈日本の「現在地」から考える3つのテーマ〉その① 規範が薄れゆく社会における企業の課題は何か
今回は、この「分断」に焦点を当て、分断に橋を架けるためには何が必要なのかを深掘りしてみたいと思います。そのカギになるのが「多様性を生かす対話」と「ネガティブ・ケイパビリティ」です。
INDEX
多様性という複雑で高度な問題が「分断」を広げかねない現状
今日の社会において「分断」が進む背景の一つに、多様性の拡大が挙げられます。
多様性そのものは決して悪いものではありません。社会が成熟し、豊かさを増していくにつれて人々の価値観が多様化していくことは、必然の流れであるといえるでしょう。本来、画一的ではない、多様な人々が持つ“違い”を中身とする多様性は、新たな価値やイノベーションを生み出す「創造性」の源泉でもあります。
その意味で、近年の日本社会が創造性を発揮しにくいと指摘される背景には、かつて強みとされた「同質性」をよしとする価値観が根を下ろし、そこから抜け出しきれていない現実があるのかもしれません。
その一方で、多様性が良い方向ではなく、排他的な「分断」という形で現れてしまうと、社会や組織にとって大きな問題となります。
ある研究によると、社会の分断が進行している国や地域ほどポピュリズムが流行しやすい傾向にある、と報告されています。ここでいうポピュリズムとは、表面化している問題だけを取り上げて民衆の不満に訴えかけ、既存の制度や規範への不信感を煽(あお)る政治スタイル、と定義することができます。
多様性の拡大によって複雑に高度化した現代社会の課題に対し、ポピュリズムの立場からわかりやすい解決策を示すことは、一時的には心地よく響くかもしれません。しかし、それが社会を根本から良くすることとは真逆の結果を招くことも少なくありません。
豊かさゆえに複雑で高度になっていく“厄介な問題”をどう扱うのか。
解決のアプローチをどう変えていくのか。
私たちはじっくりと腰を据えて、問題の本質を多方面から深く考え、関係者同士の粘り強い熟議を通して、よりよい方向性を見いだしていかなければなりません。そして、この見方や態度は、私たちにとっての“小さな社会”である会社組織にも当てはまります。
日々、組織に起こるさまざまな問題は、それが複雑・高度な問題であるほど、表面的に対処せず、根本にある問題と対峙することが求められます。
しかし、ともすれば私たちは、「それは経営層が悪い」「Z世代は問題だ」「うちの会社は結局変われない」といった安易なレッテル貼りで、一時的に不満を解消しようとしがちです。これは、あえて言うならば、社会で問題視されるポピュリズムと本質的に変わらない姿勢ではないでしょうか。
そこで本当に必要なことは、「問題」そのものと、その問題に関わる「ヒト」にじっくりと誠実に向き合うことです。そのためには、外形的な対応や対策を検討する形式的な会議にとどまらず、お互いの本音にもとづく事実情報と真意が交わされる「対話」の場が不可欠なのです。
分断の時代に求められるのは「どんな対話」なのか?
「対話」という言葉は一般用語ですから、私たちの日常ではかなり広範に曖昧な使われ方をしています。単なる世間話のような「会話」、意見を戦わせる「ディベート」といった討論、あるいは利害調整のための「政治的な交渉」なども、時に「対話」という言葉で表現されることがあります。
しかし、私たちが直面している「分断」に橋を架け、真に創造的な解決策を生み出すためには、「対話」の持つ意味や働きをより深く理解して、明確に捉え直す必要があります。
ここで思い出したいのは、物理学者であり思想家でもあるデイヴィッド・ボームが提唱した「ダイアローグ:Dialogue」という対話の概念です。ボームが定義した「ダイアローグ」は、単なる会話や討論とは一線を画す、深い問いと意味を持っています。
なぜ人々の間に対立が生まれるのか、どうすれば共生の関係が築けるのかを考え続けた彼は、次のように「対話」を定義しました。
人々が互いの考えや感情を深く探求し、心から理解し合うための共同的な思考のプロセスこそが「対話」。
物理学者として科学する思考を持ち、人間の意識や社会の「分断」というテーマにも深い関心を持っていたボームは、個々の持つ「違い」を焦点に、それを排除するのではなく、深く理解し合って生かすことを重視したのです。
一方で、これまでの日本の社会や組織においては、往々にして「仲良くすること」や「違いに目をつぶること」、「波風を立てないこと」を大切にする傾向がありました。「対話」という言葉も、このような「和を尊ぶ」といったニュアンスで使われることが多かったように思います。しかし、そうした調整的な対話によって表面上の調和を保つことで、本質的な問題解決や、新たな価値創造の機会を逸してきた側面も否めません。
これからの日本社会、そして組織においては、人々の多様性を生かすことを前提とした「対話」、すなわち「互いの違いを探求し、共に深く思考し、理解し合うプロセス」として対話を捉え、実践していくことが重要であると考えます。
そして実践においては、私たち日本人、そして日本社会が持つ特性を十分に意識しておくことが重要です。
日本人は社会の調和や協調性を重んじる傾向が強く、時に多様な個性や違いが抑圧されてしまうことがあります。しかし、この日本人が持つ「相互の関係のあり方に対する繊細な感覚」は、決してネガティブにだけ機能するわけではありません。この特性をうまく活用すれば、互いを尊重しながらそれぞれの個性や違いをよりくっきりと浮かび上がらせることが可能になります。
人は他者と向き合うことを通して、自分自身の内面や思考の傾向に気づき、自己認識を深めることができるからです。
こうした日本の文化的特性を理解することも含めた、プロセス重視の対話を重ねていくことで、はじめて、日本の社会や組織で進行している「分断」に歯止めがかかり、橋を架けることが可能になるのだと思います。
ネガティブ・ケイパビリティ
不確実な時代を乗りきる心の姿勢と能力
この「多様性を生かす対話」を実践することは、決して簡単なことではありません。なぜなら、自分とは異なる価値観を持つ人々と対峙し、先の見えない未知の課題に向き合うことは、人の心に本能的な恐れや不安を抱かせるものだからです。
ここで、イギリスの詩人であるジョン・キーツが提唱した「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念に注目したいと思います。
ネガティブ・ケイパビリティとは「不確かさや曖昧さ、疑問や理解できないことに耐える力」。「すぐに答えを求めず、わからないままにしておける力」と読み換えることもできる。
この概念は、現代社会の一般的な風潮とは逆行しているように思えるかもしれません。テクノロジーの発展により、私たちは膨大な情報を瞬時に検索できる時代に生きており、何事にもスピードと効率が求められます。また、そもそも人間の脳は、不安や不安定な状態に耐えることが苦手で、たとえ不正確な情報であっても、何らかの「答え」や「正解」にすがりつきたいという特性を持っていると言われています。
私たちは常に“霧がかかったような不確実な状況”を避け、はっきりとした「解決策」や「結論」を求める傾向があるのです。
しかし、今の時代の表層的な流れや人間本来の脳の性質にあえて逆らってでも、私たちはこのネガティブ・ケイパビリティを高めていく必要があると私は考えています。
なぜなら、VUCAといわれる環境の中で、現代社会や産業、企業が“当面の答え”を仮置きしながら手探りで進めていく活動は、同時に水面下で、想定外の経験にないさまざまな問題・課題を生み出し続けます。
あちらが立てばこちらが立たず、論理的にも割り切れない。そうしたモヤモヤや葛藤がつきまとう現代の課題と正面から向き合うためには、安易な答えに飛びつかず、曖昧な状況の中で本質をじっくりと考え抜く姿勢が不可欠だからです。
「対話」というと、多くの人々は「やり方」、具体的なテクニックを知りたいと望みます。もちろん、それも大切です。しかし、それ以上に重要なのは、対話に向き合う私たちの心の姿勢、すなわち「あり方」なのです。
日本はこれまで、社会が強固な同質性に覆われていたこともあり、諸外国に比べて「分断」の進行が緩やかに見えていたかもしれません。しかし、さまざまな兆しが示す通り、現在の日本においても分断の波は間違いなく忍び寄っており、それは企業経営にも計り知れないインパクトを与えます。
社会全体が、そして私たちの組織が、分断の進行によって取り返しがつかないほどの機能不全に陥ってしまう前に、今こそ「対話のあり方」を根本から見つめ直し、そのための心の能力を育んでいく必要があります。
「分断に橋を架け、多様性を力に変える社会」。その実現のカギを握るのが「多様性を生かす対話」と「ネガティブ・ケイパビリティ」です。
あいまいで予測のつかない現実に対して、安易に答えを求めようとせず、多様な人々の創造性と協力を高めて、共に未来を拓いていく。それはジレンマに揺れる時代に求められる新たな問題解決の要件でもあるのです。