〈日本の「現在地」から考える3つのテーマ〉その② 分断に橋を架ける「対話」とネガティブ・ケイパビリティ
低いエンゲージメント、メンタル不全、後を絶たない離職者。日本の企業組織を覆っているのは無気力感やあきらめの空気です。このような「低エネルギー状態」は、じつは個人のやる気の問題ではなく、現代の成熟社会が日本全体にもたらしている構造的な問題です。
そこから抜け出すためには社会的な背景をまず理解して、根本で回復すべき“人間の本性”に視点を据えた環境面からのアプローチがポイントになります。
INDEX
日本人は、なぜ「低エネルギー状態」に陥ったのか
かつて日本人の仕事への熱意、会社への高い帰属意識と滅私奉公の精神は、高度経済成長を支える原動力でした。しかし今では、日本のビジネスパーソンの仕事への意欲や満足度はG7諸国の中でも最低クラスです。なぜこれほどまでに「働く情熱」が失われてしまったのでしょうか。
社会の変化と個人を取りまく生活の変化
①「働くこと」の社会的意義が薄れる
自分の仕事に「どんな意義を感じているか」は、働くことに注がれるエネルギーの大きさに直結します。戦後日本は、焼け野原からの復興という明確な使命のもとに驚異的な経済成長を果たしました。仕事に注ぐエネルギーと成果の手ごたえが一致したジャパンモデルへの誇りは多くの日本人の働く意味になりました。
しかし、日本社会がGDPの拡大成長期を経て安定期に入ると、「失われた30年」という長期にわたる停滞に陥り、成長を実感できない時代が続きます。その閉塞状態がもたらす疲弊感とともに、働くことの社会的意義も薄れていきます。
②「安心・便利」が実現した成熟社会
日本社会は、世界でも類を見ないほど安全で便利な暮らしができる環境を実現しました。経済が発展し、社会が安定してくると、人々の大きなエネルギーを発動させるような差し迫った問題の大部分は解消されていきます。SNSの普及によって個の時代が加速すると、皆が会社のために一丸となって働く求心力、共同体的意識やロイヤリティは希薄になります。
③リスク回避を志向するマインド
安心で便利な社会では、「リスクを冒して何かを得る」よりも「何かを失うリスク」を過剰に意識しがちです。新しいことに挑戦するよりも守りに回って現状維持を選び、〈ほどほどでいい〉〈リスクのあることには手を出さない〉という合理的な思考が強く働くようになります。
④「受動的快楽」をもたらす消費社会
現代社会には、YouTubeやSNSをはじめ多様なネットサービス、至れり尽くせりの消費体験など、労力をかけずに「受動的」に享受できる楽しみが溢れています。昔の企業人のように仕事や会社に没頭し、その中に働きがいや生きがいを見いださなくとも、提供されるコンテンツやサービスを無限に消費して暮らしを楽しむことができるようになりました。
その一方で、自分から環境に主体的に働きかけて動く、試す、やりとりするといったリアルな体験の機会は減っていきます。一見すると便利な社会で、受動的な消費体験だけに依存する生活が当たり前になっていくと、内発的なエネルギーや意欲は徐々に減衰していきます。
なぜなら「受動的快楽」の特徴は、一時的で持続性が低く、依存性があり、私たちが本来享受できる“人生の本当の楽しさや幸福感”に行き着くものではないからです。
ポジティブ心理学という研究分野では、次のように言われています。
自分から世界や物事に能動的に関わっていくことが、私たちのエネルギーを
持続的に引き出し、人生の幸福感を高めていくカギである。
ポイントは、自分の力と全感覚がいきいきと発動する手ごたえ、人本来の「生きる実感」です。
これからは「内発的エネルギー」が不可欠な時代
受動的快楽に偏りがちな現代社会の流れとは逆行して、これからの時代はより個人の内発的なエネルギーが求められるようになります。低エネルギー状態にとどまっていては個人も会社も立ち行かなくなるのです。
企業では、AIがルーティン的な仕事のほとんどをこなすようになると、人間にはより創造性が求められるようになります。
VUCAと言われる正解のない時代、企業には、オープンに社会とリンクし、自身のあり方を根本から変えながら新しいものを生み出していく「イノベーションの活力」が不可欠です。複雑で難度が高い問題の解決には「企業の集合知」が拠りどころとなります。
それを支える個人には、指示されたことをやり遂げる以上の“内発的で創造的なエネルギー発揮“が求められるのです。
それだけではなく、私たち一人ひとりの価値観と生き方という観点からも、主体性を発揮する大きなエネルギーが必要になっています。
「会社中心の人生」から「自分らしい人生へ」
「レール(正解)のあった時代」から「自分で道をつくる時代」へ
「仕事中心の働きがい」から「人生全体の充実」へ
すでに私たちの生き方や働き方は根本から変化しています。
今は、もはや会社や既存のレール(正解)に依存する生き方は難しくなりました。自分の人生や働き方を自分でデザインし、その実現には試行錯誤を重ねる必要があります。道なき道を手探りで切り拓くための大きな内発的エネルギーが必要な時代なのです。
「生きる実感」を引き出す体験 2つのカギ
では、どうすれば内発的なエネルギーを喚起できるのでしょうか。
じつは、これは非常にデリケートで難しいテーマです。なぜなら人間は機械と違って、外発的な命令や指示によってエネルギーを高めることが難しい存在だからです。「熱意を持て!」と言われれば、なおさらやる気がなくなるのが人間です。
こうした本来の性質をよく理解して、エネルギーが“自然と湧いてくる”ような体験をデザインするアプローチが効果的なのです。
1.自分の頭で「考え抜く」
インターネットや生成AIによって情報や解答を瞬時に得られるようになると、「自分の頭で考える」ことの価値は相対的に低下しそうに思えるかもしれません。しかし「考えること」には、単なる情報処理能力を超えた、人と社会にとっての重要な機能があります。
人は自分の頭で考え抜くことを通して、その事物と心理的に強く結びつき、当事者意識がめばえる。
たとえば、会社から提示された方針がどれほど優れたものであっても、一方的に与えられるだけでは「へえ、そうなんだ」程度の反応で終わることが多いでしょう。しかし、その方針について本当に理解したいという気持ちから、あえて疑問を持ち、前提を問い直し、反論を試みるなど、自分の頭で考え抜いてみる。このプロセスを経ることで、情報と意味が結びつくようになり、やがて「なるほど、確かにそうだ!」と腹落ちする瞬間が訪れます。
その時、その課題や方針に対して、個人の内に強い「コミットメント」(理由と動機)が生まれるのです。
つまり、「自分の頭で考えること」は、コミットメントを高め、当事者意識を育む行為そのものなのです。そして、自分の頭を通して導き出した“答え”に基づいて行動することで、「自分の仕事や人生の主人公は自分である」というマインドや効力感が育まれます。創意工夫の自在性や楽しさもそこから生まれ、考える行為が好循環していきます。
逆に、他者の答えを鵜呑みにして、あるいは押しつけられて行動する場合は、強い責任意識こそあっても当事者意識は生まれず、エネルギーは高まりません。結果として成果もたいして上がらず、仮に失敗すれば「自分の考えではない」「他人の間違った方針のせい」といった他責思考になって、学びも成長もない負のサイクルが続いてしまうのです。
2.手を動かす(身体性を駆動する)
二つ目のカギは、とにかく「手を動かす」こと。“手を動かす”というのは象徴的な表現で、自分の「身体性」を積極的に駆使することを意味します。AIの思考がどんどん人間に近づいていく時代に、「身体性」は次のような観点から、きわめて重要な意味を持つようになると私は思っています。
【手を動かすことは、世界とつながること】
身体を使うことで、私たちは世界とより広く深くつながることができます。
たとえば「木」について知りたいと思った時、インターネットで調べればさまざまな情報を得られます。しかし、それはしょせん概念レベルの情報です。
実際に森に入り、根元から伸びる幹を眺め、枝や葉に触れ、土の匂いを嗅ぎ、空を仰いで木に登ってみる、などの体験から得られる“五感を通じた”情報や知識は、頭(言葉)だけの理解とは質的に異なります。リアルな関係性(私とこの木)に根ざした、きわめて繊細で直截性と直感性の伴う全体的な理解です。
ビジネスの現場でも「現地現物」と言われるように、身体感覚で世界と接することで、より豊かで複層的なつながりが生まれるのです。
【手を動かすことは、自分自身を探索すること】
「手を動かす」ことを通して、私たちは自分自身についての理解を深めることができます。実際に行動し、周囲がどう反応するか、自分はどんな反応に喜びを感じるのかといった経験は、他との関係、相互作用の中で生まれてくるもの。自分ひとりが頭で考えているだけでは得られない自己理解につながります。
徹底的な机上の自己分析で“自分探し迷路”に陥る、という若者の話はよく聞かれます。自分の情熱の対象や人生の意味を見つけたくても、“自分が何を知らないのかを知らない”自分の頭で考えているだけでは限界があります。
身体を使って世界と関わり、そこで得られる自分のさまざまな反応を、自分自身が見つめる中で、少しずつ「自分とはこういう人間なのだ」という理解が深まっていくのです。
【手を動かすことは、それ自体が喜びである】
さらに、手を動かす行為そのものが、人生の喜びの源泉になります。自分が主体的に考え、行動し、環境に何らかの影響を与えるという実体験は、自分がわずかにでも世界を動かした、変化を与えたという感覚を伴うものであり、そこから新たな関心や意欲が生まれてきます。
周囲に流され、受け身で生きるスタンスでは、この深い充実感を得ることはできないのです。
組織は「個人の主体性」をどうサポートするか
低エネルギー状態からの脱却には、まず個人が「自分の頭で考える」「手を動かす」ことをポイントにした、リアル体験を重ねることが大切です。それを習慣化していくためには、個人の努力だけではなく、企業内でも個人の主体性を高める環境づくりを進めるなど、周囲や組織からのサポートが欠かせません。
1.小さな一歩と継続の重視
大きな変化は、小さな一歩から始まります。組織は社員が無理なく“周囲への主体的な働きかけ”を始められる機会を提供し、その継続を支援する仕組みを構築する必要があります。継続こそが、より大きな意欲を醸成する源泉となります。
2.周囲のサポートと心理的安全性
「自分の頭で考え、手を動かす」ことは簡単ではありません。上司は部下が自ら考えて動く機会を与え、失敗を恐れず試してみるための心理的に安全な環境を用意します。同僚間のオープンな対話や、チャレンジを後押しする人事制度も効果的でしょう。
3.目的とビジョンの共有
個人の自己実現に向けた努力を、組織全体で共有する大きな目的やビジョンと結びつけることができれば、そのエネルギーはさらに増幅されます。個人の主体的な働きかけが組織の目標達成に貢献するという実感は、大きな働きがいにつながるばかりでなく、個人の自己実現と組織全体の生産性・創造性を両立させる原動力になります。
個人が「自分の頭で考える」「手を動かす」ことを通して「生きる実感」を高めることは、私たち自身が人間性を回復すること、それを通じて組織全体がいきいきとしたエネルギーを取り戻すことにもつながります。
正解のない時代を生き抜くためには、人間の特性を最大限に駆使して“自分で答えをつくる当事者”が増え、当事者同士が自発的に働きかけ合って新しいことを試し・生み出していくダイナミックな組織が必要です。
そのエネルギー源にまず目を向けることは、大きな変化のための最初の小さな一歩になるのです。