「意見を出す」ことだけに終始する「話し合い」の問題とは

私は、そもそも話し合いで「意見を言うことを大事にするから意見が出にくく、まとまりにくい」のではないかと思っています。
「意見」とは、他者が受け入れやすいように、あるいは他者に通りやすいように自分の思いや考えを「加工」したもの。つまり本当に言いたい本音ではなく、そのことをオブラートに包んで、一見、論理的にみえる「大人の発言」に仕立て上げるのが「意見」の特徴だと思います。

「意見を出す」ことだけに終始する話し合いでは、いくつかの問題があります。

結果が実行に移されない

一つは、意見を出し合って結論はうまくまとまったけど、その結果が実行に移されない、というものです。
多くの人が納得しやすい論理性を重視して結論をまとめてしまうと、まとまったものには、そこに参加した人の思いや感情が込められていません。そのため、きれいな結論は出たけれども「心を込めて実行に移す人」はそこには存在しなくなるのです。

意見の出し合いは「主張の戦い」になる

問題の二つ目は、意見の出し合いはえてして「主張の戦い」になるということです。どの意見がいいか悪いか、勝ち負けの話になるのです。
意見が通った人は「勝ち」で、自分の意見を堂々と実行に移せる権利を獲得してそれを進めようとします。が、負けたほうの側は、暗黙の裡にその決定事項を退けて非協力にふるまいます。そのことにより、なおさら関係性が悪化して、事態改善のために話し合いをしようとしても、単なる主張の戦いになるばかりで話し合いは平行線をたどります。

「意見」は人に評価され、潰されやすい

問題の三つ目は、「意見」は人に評価され、潰されやすいということです。他人の意見に対していい悪いと評価してしまうのは仕方がないことですが、問題なのは、リスクやコストに敏感すぎる会社、あるいは他人や自分の評価を過度に気にする風土の職場では、ことごとく意見が潰されてしまうことです。話し合いの場が「戦いの場」どころか「潰し合いの場」になり、結局は「意見が出ない」話し合いになっていくのです。

「意見」になる前の「意味・感覚情報」を共有し合う

これらの問題をみていくと、意見を出すと同時に「意見出しを通じて人をまとめていく」という発想がないと、気持ちが実行に向かう話し合いにはならないと強く感じています。

話し合いを通じて人がまとまっていくためには、「意見」になる前の「意味・感覚情報」を共有し合うことが大切だと私たちは思っています。
それぞれのメンバーが日頃どういうことに問題を感じているのか、どんなことをやりたいと思っているのか、どんな人なのか、など意見の前提となる情報をお互いに知ることによって、互いの「意見の意味」がわかりやすくなります。気楽にまじめな話をするオフサイトミーティングでは、まさにここを狙っています。

オフサイトミーティングでの話し合い方に慣れてくると、メンバーは「意見」の前提となる情報に関心を向け始めます。他者が意見を言った際に「なんでそんな意見を持ってるの?」と尋ねたり、言葉そのものよりもその人が本当に言いたいことを感じとろうとする聴き方をする人が出てきます。
また、自分自身に対しても「それに対しては違和感があるなあ」と言って、まだまとまって言葉にできない自分の感覚に焦点をあて、それを探っていったりします。
そうすることによって、人の持っている言葉にならない膨大な情報を引き出すことができ、しかも参加者が自分の気持ちや本音とともに出した結論は「腹に落ちる」ために、決定事項を自分のものにできるのです。

アフリカの格言に「早く行くなら一人で行け。遠くに行くならみんなで行け」というものがあるそうです。
「遠くに」行きたいのであれば、お互いの意見の前提に持っているもの、それを知り合うことから始めることが大切だと思っています。