日本を「現状維持」という名の衰退に追い込んできた真因は何か?~大企業に根づいている無自覚な思考様式

ひと昔前と違って、日本は今“衰退に向かっている”と言われています。正確にいえば給与水準にしても、一人当たりのGDPにしても、「現状維持」が続いているということです。
そんな日本を置き去りにして周りの国々はどんどん先へ進んでいます。今の状況をこのまま放置すれば、そのうち日本から近隣諸国に出稼ぎに行くのが当たり前の時代が来ないとも限りません。
そうならないために私たちは今、何をすればいいのか。

すでにある価値を繰り返し再生産する「現状維持」は得意なのですが、目が覚めるような伸びを呼び起こすには今一つ何かが欠けている日本。なぜ、こんなことになっているのか、企業改革の実践を通して問題を見極めてきた私の見解は明快です。その病根は、日本経済の中核を占め、日本を支えている大規模企業が抱える無自覚の「思考スタイル」にこそあり、それこそが企業進化の足を引っ張っている、ということです。

日本の社会で存在感のある企業であればあるほど、実はその社内に組織をしっかりと支えてきた「現状維持志向の思考スタイル」が根づいています。問題が少々起きてもいいからまずはやってみよう、が全くと言っていいほど無いのです。この思考スタイルこそが、これまで組織を円滑かつ効率的に回し、維持してきた主役であったのです。

ところが、このやり方は、現状維持には確かに効果的ですが、同時に、前例とか上司の意向とか今ある現状を前提に置いて事を進めるため、「余分なことは考えなくてもいい」という脳を楽にする「思考停止」の要素を含んでいます。
このような便利な思考スタイルの怖いところは、常習化することで「新たな価値を創造していく機運」を萎えさせるのです。ここに問題の温床があります。
日本企業に根深く入り込んだこの思考スタイルは、たやすく取り除けるものではありません。気づかないうちに経営全体をがんじがらめにし、企業の動きを硬直化させていく無自覚の「縛り」になっているからです。

組織の深層に心地よく潜んでいるこの現状維持志向の思考スタイルが大企業の変革に見えないブレーキをかけ続け、長期にわたる日本の現状維持を招いてきた真因であることは明らかです。そのことを私たちは日本の組織改革の現場から学びました。
そこで見えてきたのは、それさえ解決できれば、日本は再び浮上し成長できる可能性を秘めている、という企業変革のストーリーです。

思考停止のスイッチが自動的に入る「序列意識」と昭和の感覚

日本という国は大企業が大きな力を持っています。日本を支えているのは基本的に大企業です。そして、前述のように日本を衰退に追い込んでいる真因もまた大企業に根づいている業務対応の思考スタイルの中で温存されているのです。

もちろん、日本の大企業にも思考停止に陥っていない、世界にも通用する人材は確実にいます。しかし、優れた能力を備えた彼らであっても現状維持に必要で評価の肝ともなっている調整能力を十分に持っているとは限らず、時には低評価にもさらされます。それでも、彼らは多数派を占める思考停止勢力との根気のいるやりとりに限りある時間と貴重な労力を割きつつ、本当に意味のあることをやろうと悪戦苦闘しているのです。
こういう優秀な人材が持つ志や秘められた能力を、フルに発揮させられないようでは日本に明るい未来はない、ということです。

「思考停止」とはそもそも何を意味するのか。何がそんなに問題なのか。
思考停止の例はいくつもありますが(詳しくは拙著『「日本的」勤勉のワナ』朝日新書をご参照ください)、ここでは誰もがうすうす感じていながら「仕方ないよな、日本なんだから」と見過ごしてしまっている、でもそこには本質が潜んでいる、という話をしておきます。
特に昭和世代の日本人には、まだまだ根強い序列意識があります。そういう人たちが日々の業務において“自分より序列が上”だと意識している相手に対応する場合、自動的に「思考停止」のスイッチが入るのです。

たとえば、上の人に何かを依頼されたり指示されたりすると、思考停止に陥ります。指示内容に「?」と疑問を感じたとしても、問い返しをすることなどなく、言われたことをとりあえずやることが空気を読める常識をわきまえた人間だとされてきたからです。
優秀といわれる昭和世代の部長や課長に、こうしたタイプが多数派を占めるのが従来型の企業です。そこに仕事の処理スピードの早さや効率性以上の、大きなムダが生じていることは自明です。

もちろん、企業の中には問い返しを平気でするような人もいるのですが、そういう人は出世しない、という暗黙の前提があります。さすがに最近では従来の評価姿勢を変えようとする企業も出てきてはいます。しかし、自分の頭で考えて臆せず意見を言うような人物を高評価する価値観は、まだまだ主流になっていません。

会議は思考停止の温床となっている〈閉じる場〉

極めて重大な問題は、こうした「思考停止」が日本では普通に行なわれている会議の中でつねに培われ、再生産されていることです。形式を重んじる従来型の会議は、前提として置かれた枠内でものごとを処理する〈閉じる場〉そのものであり、それは「現状維持志向」と共存しているがゆえに組織レベルでの「思考停止」は持続するのです。

東京2020オリンピック委員会で物議をかもした森喜朗氏の発言にもあったように、日本人男性の多くは「常識をわきまえない女性がいないと会議が長引かなくて済む」という感覚を持っています。「会議というのは変に長引かせたりせず、効率的に回すもの」という常識にとって、〈閉じる場〉というのは居心地がよい、収まりのいい場なのです。

その意味でも〈閉じる場〉というのは、運営しやすく、現状維持に適している場ともいえます。予定調和、前例踏襲などは、まさに〈閉じる場〉のためにある言葉といってもいいでしょう。

多様な情報にふれ、創造的に考える力を育くむ〈拓く場〉

〈閉じる場〉とは真逆の性格を持ち、世界では標準であっても、日本の大企業ではほとんど見受けられないのが〈拓く場〉です。
〈拓く場〉は、簡単に答えが見つかるわけではない問いと向き合い、意見をぶつけ合い考え続けることでしか答えに近づけない、「脳に楽をさせない」場なのです。そこで深い議論を継続的に積み重ねていくことによって、考え抜く習慣や思考力がいつの間にか身についていくのです。

そういう創造的な場であるにもかかわらず、日本では〈拓く場〉の意味がまだまったく共有されておらず、〈拓く場〉に時間を割こうとする企業がまだまだ少ないのです。オフサイトミーティングにしても、必ずしも〈拓く場〉としては認識されておらず、多くの場合、単なるコミュニケーションツールと捉えられているだけなのが実情です。

日本の大企業にこうした世界標準の場がないことが日本の進化にとって決定的な意味を持つことは、今まではほとんど語られることもなかったのです。〈拓く場〉を日常的に経験しているか否かで、人や組織の新たな価値を生み出す能力に雲泥の差がつくにもかかわらずです。

たしかに〈拓く場〉では当たり前に行なわれる発散の議論には予定調和がありません。発言者が自由に言いたいことを言い合えば、話し合いは長引き混乱します。面倒ではあるのですが、そうした議論に習熟し、議論の質を高めることができるようになりさえすれば、そこから新たな知恵や価値が生まれる可能性が出てくるわけです。

とはいっても、この〈拓く場〉は今までの社内常識や価値観を根底から覆すわけですから、日本企業に持ち込むのは簡単ではありません。そこで扱う経営の将来を左右する本質的なテーマは、経営の意志がそこに明確になければ如何ともしがたいものでもあるからです。

そういう意味では、経営が自ら〈拓く場〉を実践し、自らの思考を鍛える姿勢を全社に示し、その意味を説いてこそ実現可能になるのが本当の意味での改革です。
新たな価値を生む知恵の源泉となる〈拓く場〉の質と量は、まさに改革の中心テーマになるものです。
現状維持を続けてきた大企業に再び生命を吹き込めるかどうかは、このテーマへの取り組みにかかっていると私は思います。それは単に企業のためだけではなく、日本の明るい未来に通じる社会的なアクションとも言えるのです。

後編では、新たな価値を生むための〈拓く場〉をいかにつくるか。そして、その質を高めていくには何が必要なのか。私たちが大企業で実践している内容を取り上げてみたいと思います。

(後編につづく)

『「日本的」勤勉のワナ』柴田昌治/朝日新書