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「静かな退職」の広がり
最近では、若い世代を中心に、「仕事は給与を得るためのもの。働きがいや自己実現まで求めていない」と考える人が増えていると言われます。これは若者だけの現象ではありません。一見、仕事に熱心に取り組んでいるように見える中堅以上の世代にも、実際には静かなる退職が広がっているというショッキングな調査結果があります。
かつての会社には、「誰もが仕事に熱意を持って取り組むべきだ」という昭和的な規範、文脈がありました。仕事を人生の中心に置き、会社に尽くすこと、頑張ることが美徳とされた時代です。
しかし現在では、長きにわたる日本経済の低迷などから“熱心に働くことが報われるとは限らない”という冷静な見方が定着してきています。また、社会が成熟するにつれて、家族との時間、趣味、学び、地域活動、さまざまな体験、何もしないで過ごす時間の豊かさなど、私たちは仕事以外にも人生を豊かにするたくさんの選択肢を持つようになりました。
では、これからの時代、働く人に仕事への熱意や主体性を求めるのは、現実的ではないのでしょうか。
それでも、仕事への「熱意」には大きな意味がある
私は、人が仕事に熱意を持つことは、組織や社会を良くするだけではなく、働く人の幸福にもつながる大きな可能性があると思っています。
自分が生き方として選び、人生の多くの時間を費やすことになる仕事に対して「熱意を持つ」ことができるなら、やらされるのではなく主体的に働くことができるとするなら、それは人生を有意義に過ごすことにもつながります。そういう仕事への向き合い方は、自分の成長や組織、社会に貢献しているという実感をもたらしてくれるでしょう。
自身の担当組織で従業員満足度を短期で大幅に向上させた楽天グループ常務執行役員、社会戦略家でもある松村有晃さんの注目すべき研究レポートがあります。
社会経済の成長と個人の幸福という2つの側面に影響を与えると考えられる108項目の要因を分析した結果、「仕事への熱意」は、個人の幸福度と社会経済の成長の両面でプラスに働く“ほぼ唯一”の強力な因子(両利きのレバー)だったというものです。
「働きやすさ」に比べて可視化しにくい「働きがい」や「仕事への熱意」ですが、生産性や社会経済の成長に寄与しうるだけではなく、同時に個人の心身の幸福にも正の影響を与えるという心強いデータです。
時代は変わり、「仕事に熱意を持つのは当然」という規範が消えた現代の職場において、「それでも情熱を持って仕事をしたい」という人を増やしていくためには、何が必要なのでしょうか。
熱意や主体性は、組織の環境によって引き出される
この十数年の常識を覆す環境変化で、企業成長の条件も大きく変わりました。
不確実性が高い時代には、個性を発揮し、主体的に行動する人が求められます。
その一方で、個人が仕事に向き合う姿勢はさまざまであり、「静かな退職」モードで働くことも一つの選択です。昔のように、外側から強制的に意欲や主体性を引き出すことはできなくなりました。
こういう時代であるからこそ、あらためて“組織の環境”の重要性が高まっています。つまり、良い組織環境をつくることで、自然とそこにいる人たちの意欲や主体性が高まっていくというカルチャーの構築が経営の重要課題になってきたのです。
90年代の終わり、まだ若手だった頃の自分自身をふり返ると、仕事の中で熱意や主体性のスイッチが入る瞬間がいくつかあったことを思い出します。それは意外と単純なもので、上司や同僚にほめられる、励まされる、あるいは飲み会を通じて同僚と親しくなる、といったことでした。
かつては、組織の価値観や目標に自分を重ね、組織に同化することが熱意を高めることにつながりました。組織の一員として認められ、期待に応え、仲間と同じ方向を向いているという実感が、承認や誇りになっていたのです。
しかし、今の時代に組織への同化といえば、個性を失うこと、組織のために個人の時間を犠牲にすることとトレードオフの関係で受け止められるようになっています。ほめられれば嬉しいという人の感情は今も変わりませんが、それだけで仕事への熱意や主体性が高まるかというと、以前ほど単純ではありません。
「静かな退職」が進む昨今の状況下で、働く人の熱意や主体性のスイッチは、より見つけにくくなり、個人の内面深くに潜り込んでいます。見えにくくなったことで“熱意や主体性がなくなった”と思いがちですが、実は一人ひとりの「個性」の奥深くで眠っている、というのが実態だと思います。
だからこそ、組織がまず重視すべきなのは、個人が“ありのままの自分でいられる”環境です。組織の中で、日々の仕事の中で、自分らしくいられることを実感できる環境は、人間の本性に響く心地よい体験(=快体験)になります。そうした体験を積み重ねていくことが、自ずと熱意や主体性にスイッチが入るための第一歩なのです。
私はこれからの組織の活力や創造性のカギは、この無意識に腹に落ちていく身体的な心地よさ、「快体験」にあると考えています。
根源的な「快体験」とは何か
ここでいう快体験とは、個人が一人の人間として(また生物として)、無意識的な直感から「これならいいな」「心地よい」と感じる体験のことです。
私たちは日々のさまざまなことについて、理性的に考えて判断していると思いがちです。しかし実際には、不自然さや違和感に対して、頭で考えるより前に身体や感情が反応し、快不快、好き嫌いを感じ取っています。そして、その感覚には逆らわず、意味のない気の乗らない努力はしない、すすんで関わるよりも傍観する、といった態度を決めます。
後から頭で考えて「こういう理由で、私はこのことを認めない」などと言ったりしますが、こういう理屈は後づけであることが多いのです。
直感的な心地よさを感じる「快体験」とは、たとえば、ここにいて安心できる、相手は自分を受け入れている、無理に取り繕わなくても大丈夫、といった腹の底にあるプリミティブな感覚です。この嘘をつけない感覚が、実は私たちの判断・意思決定や、行動のエネルギーに大きな影響を与えています。
逆に、「不快な体験」とはどのようなものでしょうか。
自分が本当に思っていることを言えない、感情を抑え込まざるを得ない、安全安心感がない、自分らしくいることができないなど、人間にとって根源的に不快な感覚が後味として残る体験です。

昔の価値観からみれば、「仕事なのだから、快不快とか、好き嫌いなど関係ない」と言われそうです。しかし、生きている人間は機械ではありません。
そして、いまやAIが人間以上の知を生成し、人の活動の多くを代替していく時代です。これからは、企業や社会において本当に人間らしい活動とは何か、人間にしか生み出し得ない知とは何か、が真剣に問われてきます。
そういう新たなステージでは、かつてないほど人間が有する自発的な社会性や創造性をはじめ、複雑で計算のつかない人の可能性が意味を増していきます。このような見方に立ち、人々が集まり協働する組織や仕事にも、新しい価値観への転換が求められているのだと思います。
当たり前すぎることですが、企業で従業員として働いているのは人間です。その人間とは本来、無感情のコントロール下では健全・健康を保てない自然状態を本質に持ち、根源的な快体験を求めている存在です。
これからの時代に必要な人間ならではの生成物、価値創造を考えるとするなら、その前提として、快体験を土台にするからこそ楽しく打ち込み、最もいきいきと自分らしさを発揮して創造的になることができる生き物だ、という人間観が必要なのです。
ウェルビーイングや人的資本経営の文脈での「人間を大切にする」ことの意味も、単に人を資本と見るだけでなく、これまで管理や効率の観点から取捨してきた人間の持つ特性に光を当て直し、その覚醒や回復のための環境を考える必要があるでしょう。
快体験をつくるのは、日々の対話と関係性
ある会社で組織開発の支援をしていた時のことです。全社事務局の有志メンバーを募ったところ、手を挙げてくれた女性がいました。理由は「自分自身を取り戻すため」というので、どんな思いがあるのか聞いてみました。
かつて若手時代は仕事の中で、やりたいことを提案してみたり、言いたいことは率直に発言するなど自分らしくふるまえていたという彼女。それがいつの間にか本音で話すことをやめ、周囲に合わせて動くようになっていき、息苦しくて、そういう自分が嫌でたまらなかった、と語ってくれました。
特に抑圧的な上司や同僚がいたわけではないようですが、放っておくと職場の人間関係は、仕事を効率よく進めるためのドライな関係になりがちです。仕事に合理的な側面はつきものですが、それが日常のすべてになってしまい、人としての気持ちを取り戻す「心地よい」場や関係が存在しないと、職場は居場所のない息苦しい環境になっていきます。
彼女は組織開発に熱意を注いで取り組み、大きな貢献をしてくれました。その取り組みの過程で自分自身を「解放することができた」と後に語っています。彼女が“自分を取り戻した”その根っこには、本音で語り合い、足りない点も見せながら、ありのままの自分を隠さず関わっていける対話の場と、そこでの体験の積み重ねがあったのではないかと思います。
対話や話し合いというと、多くの人が「やっています」「日頃からしっかり話すようにしています」と言われるかもしれません。しかし、本当に熱意や主体性が自発的に起動するほど内面に深い快体験を伴う対話ができているでしょうか。安全安心で、共感的なプロセスを持つ対話は簡単ではありません。
人の心が離れて冷めてしまった今の職場。その一方で、時代の経営においては、主体的な人のエネルギーと創造性が成長のカギを握ります。これからの組織では、まさにこの大きなギャップを埋める環境づくりに取り組む必要があるのです。
型どおりの対話では、「快」のスイッチが入らない
近年、対話や組織開発を重視する企業が増えています。対話の研修やワークショップなど、さまざまなプログラムも提供されています。
こうした取り組みは有効なのですが、注意も必要です。というのも、「型」とやり方をマスターすることが主眼になると、プロセスでの体感や内面変化を置き去りにした“頭でこなす”対話になってしまうからです。
「質問はこうする」「相手の話は遮らない」「まず共感する」といった方法を学ぶだけでは、対話が表面的な技法レベルにとどまってしまいます。人の状態や場の雰囲気を見ながら進めていくプロセスという環境がないと、根源的な「快」のスイッチが入らないということです。
ある企業でオフサイトミーティングを行なった時、「スコラさんは本当にやらせないんですね」と言われたことがあります。
その企業の方は、“本音で話しましょう”とか“やらせない改革”とか言っても、それは表向きのポーズであり、最後は結局、何かやらせて、きれいに収めにかかるのではないかと警戒されていたようなのです。それなのに、本当に最後まで落としどころへと誘導するアクションがなかったことで拍子抜けされたのでしょう。
人や現実は、良くも悪くも思い通りにはなりません。オフサイトミーティングでは、大事にする価値観や話し合い方のルールなどの情報提供もしますが、対話のプロセスではコンテントよりも、一人ひとりの理解のペースや認識の違いなどを大事に扱います。誰かが中心にいてリードするのではなく、私たちもその一部として関わる生成的なプロセスです。
そういう全員の関わり方、人なりに進む対話、場の雰囲気などが、肌で感じる心理的安全性になり、人のありのままが自然と発露する環境になります。
このような環境の作用、全体としての認識の変化があってはじめて、内発的な動機や意思は目覚めていきます。「もっと関わろう」「やってみよう」という気持ちも起こります。そうした個人の内面も含めたダイナミックな変化を集合的に実感できることが、対話の場の持つ「快体験の価値」だと思っています。
そして、その「場」が持つ力を知っていると、「あえて不自然なことをしない」ことが逆に近道になる、と自信が持てるのです。
