前編:「自由記述」を糸口に、経営への信頼を取り戻す

「気になるコメント」を持ち寄って、経営陣で行なう対話

サーベイの実施・回収から数週間後に設けられた対話の場には、自由記述のコメントをすべて読み込んだ役員が「特に自分が気になったコメント」をピックアップして持ち寄りました。この場のテーマは、「3,500件のコメントから、私たち経営が取り組むべき課題を見いだす」。

ここで重要なのは、「気になる」という感覚です。多かった意見を重くみるのではありません。
1.数字には表れない、自分の心が思わず反応したコメントを選ぶ。
2.「なぜそのコメントが気になったのか」を言葉にする。

ポイントは、自分の気持ちに正直になれるかどうかです。
心が反応するのは、多くの場合、そのコメントが自分の中にある「認めたくない事実」や「うすうす感じていた違和感」に触れているから。言い換えれば、「気になるコメント」は、経営者自身が向き合うべき問題を映し出す鏡なのです。

役員それぞれが持ち寄ったコメントは、以下のようなものでした。

「会社は少しずつ良い方向に変わってきているように思う。しかし、本気で変わろうとしているのか、まだ信じきれていない」
「『挑戦しよう!』と言われるが、もし失敗したら評価はマイナス。であれば、与えられた仕事をこなしている方が無難。誰も本気で挑戦などしない」
「新たな取り組みを組織で意思決定するのに多大な時間と労力を要する。まるで『やらない理由』を探しているようだ」
「上司は自分の知識や経験を超えるものには基本的にノー。部下の話を聞こうとせず、一方通行のコミュニケーションで対話にならない」

これらのコメントを前に、役員たちは沈黙しました。どれも「うすうす感じていたが、直視してこなかった」現実だったからです。
あらためて、「なぜそのコメントが気になったのか」を共有しながら率直に語り合う対話のプロセスを通じて、コメントの深層にある本質的な問題が輪郭を現してきました。

「会社のめざす姿は掲げている。しかし、それが会社にとって、社員にとって、顧客にとって、社会にとってどんな意味を持つのかを、私たちは十分に示せていない。そこへの道筋を、仮説でもいいから社員と共有することが必要だ」
「『新しいことへの挑戦』が掛け声だけになっている。採用・育成・評価といった個々の仕組み(いわばアプリケーション)は整えてきた。しかし、それらを実際に機能させるための土台――組織の文化や価値観、判断基準といったOS部分――が整っていない」
「部下には『もっと対話を』と言いながら、まず経営陣の自分たち自身が本音で対話できていない」

これらは制度や仕組みの問題ではありません。人事部門だけで解決できる問題でもありません。問われているのは、経営者自身の姿勢と行動です。
「これは、私たち経営自身の問題だ」
この気づきが、課題設定の出発点となりました。

「経営にしかできないこと」を、自分たちで決める

次に役員たちが向き合ったのは、こういう問いです。

「この問題を解決するために、経営にしかできないことは何か」

ここで重要なのは、「誰かにやらせる」のではなく、「自分たちが実行することを決める」ということです。エンゲージメントの問題を人事部門に丸投げしてきたこれまでの姿勢を、根本から変える決断でもありました。

議論を重ねた末に、役員たちは次のような3つのアクションプランを決めました。

【アクションプラン1】 めざすものへの道筋を、仮説として示し続ける

ビジョンをいかに実現するかの「正解」は誰にもわかりません。しかし、正解がないからといって何も示さなければ、社員は〈自分は何をすればいいのか〉を考える拠り所を持てず、主体的に動くことができません。
だからこそ役員たちは、完璧な答えを出そうとするのではなく、議論を重ねながら「現時点での仮説」として、めざす方向とそこへの道筋を示し続けることにしました。

具体的には、社内のさまざまな取り組みについての「意味」、〈これは何のためにやっているのか〉〈会社がめざすものに向かう道筋のどこに位置づけられるのか〉を、経営自らが発信し続けていくことにしたのです。

仮説である以上、それは変わっても構わない。大切なのは、経営が考え続け、社員に語りかけ、その反応を受け止め続けることです。この対話を大事にする姿勢そのものが、「自分もこの会社の方向性を一緒に考えたい」という社員の主体性を誘い出すことにつながるからです。

【アクションプラン2】 人の成長を支援する制度・仕組みを機能させる

ビジョン共有と同時に必要なのは、経営と社員が共にめざす「人材像」の言語化です。その人材像を軸に、採用・教育・異動・昇進・評価などのあり方を問い直し、既存の制度や仕組みとの整合性を取りながら見直していきます。
このとき、新しい制度や仕組みをつくるだけでは不十分です。どれほど優れた制度であっても、形だけでは意味を成しません。社員が日々の仕事の中で「この会社は本当に人を成長させてくれる」と実感できる運用の文化や環境があって初めて、意味が生まれます。

制度という「器」をつくることと、それを実際に「動かし生かす」こととは、まったく別物で、ハードを形骸化させないためのプロセスのつくり込みが不可欠なのです。そこに経営が本気で関わり続けることが、このアクションプランの核心になります。

【アクションプラン3】 「本音の対話」を組織文化にする

自分たちの会社をこれからどうしていきたいのか、経営陣が腹を割って真剣に議論する。「めざすもの」を起点に、今の課題は何かを率直に語り合い、解決への道筋を共に考えていく。その姿勢と実践を経営陣が体現し、コミットすることが文化創造の第一歩です。

次に、部門や役職を超えて、自分たちの仕事や会社の将来について本音で語り合う「対話の場」を全社へと広げていきます。対話が特別なイベントや研修のためだけではなく、組織の日常に考える機会として組み込まれ、職場や仕事がよりよくなっていく状態をめざします。

「対話を大切に」と言葉で唱えるだけでは、文化は生まれません。経営陣が経営のあり方、やり方を見直すためのアプローチとして対話を取り入れる、という公式のアクションがあって初めて、「自分たちも本音で話していいのだ」という空気が組織に広がっていくのです。

社長から、全社員へのメッセージ

3つのアクションプランを決めた後、N社長は全社員に向けて動画メッセージを発信しました。

「今回のエンゲージメントサーベイで、皆さんから3,500件ものコメントをいただきました。役員全員が一つひとつ読み込みました。率直に言って、厳しい声が多かったです。しかし私たちは、これらの声を『会社をもっと良くしたい』という皆さんの思いの表れとして、真剣に受け止めています」
「皆さんの声と向き合う中で、私たちは一つの気づきを得ました。多くの声の根底にある問題は、ほかでもない、私たち経営陣自身にあるのではないか、と」
「今日、皆さんにお伝えするアクションプランは、皆さんに『やってほしい』ことではありません。私たち経営陣が自ら実行することです」

この動画は、大きな反響を呼びました。
「経営陣が本気で変わろうとしている」多くの社員が、そう感じたのです。

まだ道半ば。それでも、変わり続けること

翌年のエンゲージメントサーベイにも、多くのコメントが寄せられました。
そこには、変化への期待とともに、まだ信じきれないという率直な声もありました。

「経営陣が変わろうとしていることは伝わってきた。でも、現場レベルではまだ大きな変化を感じられない」
「本当に変われるのか、正直まだ信じきれない。これまでもさまざまな改革があった。しかし結局、いつの間にか元に戻っていた。今回も同じになるのではないか」

期待と疑念が交錯している。それは、ある意味で当然のことでした。過去に何度も「改革」を経験しながら、変わりきれない姿を見てきた社員たちが慎重になるのは、無理もないことです。

N社長は、これらの声を読んでこう考えたといいます。
「社員がまだ信じきれていないのは当然だ。ならば、私たちがやるべきことはただ一つ。変わり続けることだ。言葉ではなく、行動で示し続けることだ。社員が『本当に変わった』と実感できるまで、何年かかろうとも、変わり続けることだ」

T社の取り組みは、まだ道半ばです。しかし、この事例が示していることは極めて重要です。

単に社員の声に迎合し、表面化した一つひとつの問題に対応策を講じる「モグラ叩き」では、組織は変わりません。エンゲージメントサーベイを介して経営に問われているのは、次の3つです。

1.社員の声を「自分ごと」として受け止める
2.自ら変わる覚悟を持つ
3.その意志を言葉だけではなく行動で示し続ける

現場の側に立って社員の声を聞き、そこから本質的な経営の課題を見いだすこと。経営としてやるべきこと、経営にしかできないことを考え抜き、自分たちのあり方を変えながら、社員に働きかけて実際に動くこと――。
経営が明確な意志をもち、当事者として関われば、エンゲージメントサーベイはダイナミックで実践的な会社を良くするツールになり得るということです。