「組織にとっての対話」を考える上で大事なのは、それが「個人にとって価値ある対話」であること。
ここでは、「言葉よりも体感」からスタートするプロセス重視の対話によって、人の気持ちがどのように流れを変え、仕事の場へと引き継がれて変化のエネルギーになっていくのか。納得感と主体性が生まれる流れのプロセスとしての対話を見ていきたいと思います。
INDEX
対話の入口は「心地のいい体感」から
オフサイトミーティングは、ものが言いやすい、話しやすい雰囲気をつくって行なう「気楽にまじめな対話の場」です。対話の場に来た人たちが構えを外して話し合うためには、組織の空気や仕事の役割・立場を離れ、普段感じていること、今の気持ちをそのまま口にしやすくするための配慮や工夫が必要です。
たとえば、対話を始める前に必ず共有する「話し合い方のルール」もその一つ。その中でも、特に私が重視しているのが「未整理なことでも口にしてみる」というものです。
日本の組織に属している私たちは、常に「整理された意見」を話そうとします。“聞き手にどう聞こえるか”を強く意識して、結論があり、論点が整理され、きれいに説明できる状態になってから話そうとする…。
しかし、言葉にならない、言葉にしにくいものを削ぎ落として「調整済みの言葉」だけが行き交う場では、心が動かず、新たな気づきや内発的なエネルギーは生まれません。
特に、日本の組織には「ものが言いにくい」「自由に動けない」「あきらめる」といった典型的な現象を生み出す“目に見えない空気や圧力”があります。
対話の場では、まずこの空気の縛りを解除するために、感覚的なあいまいさや不確実さを歓迎し、まだモヤっとしてまとまっていない「未調整・未整理の言葉」をそのまま口にすることを重視しています。
「うまく言えないんだけど」
「まだ考えがまとまっていないのですが」
そんな前置きから始まる言葉が、場の冒頭に置かれる。それを他の人が聞き、〈それでいいんだ〉という体感を重ねながら受け取る。そして、ありのままの声にふれていくうちに〈他の人も同じように感じているんだ〉〈そういう見方があるのか〉と、見える景色が変わる。
対話のプロセスでは、そんな内面の変化を追っていきます。
いい対話からは、転換の「問い」と「流れ」が生まれる
私が最近、対話による生成物として特に大事だなと感じているのは、それぞれが自分の中に持ち帰る「小さな問い」です。
「~ということは、どういうことだろう」
⇒ 自分の仕事で考えると、どうなるだろう
⇒ 今まで当たり前だと思っていたことは、本当にそうだろうか?
対話の場で、みんなの声を聞きながら「自分にとっては、どうだろう?」という問いが自然に湧き上がり、余韻となって残ると、その場だけの対話をして終わるのではなく、参加者の日常業務の場面にも「小さな問い」が流れ始める、という感覚を持っています。
そして、この問いは、むしろ対話の場を離れたあと、日常の仕事の中で、少しずつ意味を持ち始めるというのが実感です。
対話で響いたひと言が、何日も経ったあとでひょんなことから、ふとよみがえる。誰かが言っていた違和感が、自分の中の違和感と急につながる。
そのとき、人は“意味”に気づきます。
「ああ、〈ということは〉こういうことかもしれない」
それは、誰かに与えられた理解ではありません。自分の身体を通して立ち上がった理解です。だからこそ、この気づきは強いのだと思います。人は、他人から言われてもなかなか納得して動けませんが、自分で見つけた意味であれば腹に落ちて動くことができます。
このように「問い」が自然に湧き上がり、その意味に気づく瞬間は、新たな視座・視点と、状況を変える行動のエネルギーが立ち上がる瞬間でもあります。
こうした内面プロセスの流れがあってはじめて、組織の対話が自分にとって本当に価値のあるものになるのだと思います。
対話の場に、みんなが未整理な情報を持ち寄り、お互いの視点にふれ、それぞれが「ということは?」という小さな問いを持ち帰る。そして、その問いを内に持つ人たちが、現場で小さく行動を変えて試し、それを職場で共有する。こうしたフィードバックがかかり始めたとき、組織は自分たち自身を更新していくことができるようになります。
結論や答えを出す場ではなく、それぞれが「ということは?」を見つけて動き出す感覚を得る場。そんな対話の場が増えていくとき、組織は静かに、しかし確実に強くなっていくのではないでしょうか。
対話とは、そうした人が本来持つ感覚や感情を解放し、みんなで現実認識を書き換えながら仕事や組織の意味を問い、考えて、エンゲージしていく営みなのではないかと思っています。

