「信頼関係」は定量的に測ることができない

私もスコラ・コンサルトという会社で仲間に囲まれ、人と関係をもって仕事をしています。社員数40名程の小さな会社ですが、いろいろな個性をもつ人が共に働いています。「周囲への関心がとても強い人」「強く見えるけれど、実は繊細な心の持ち主」「少年のように純粋な心をもつ人」など多様な個性が集まり、素晴らしい仲間になっています。

時折、お客様から、
「スコラさんの社内では、信頼関係はどうですか?」と尋ねられることがあります。もちろん、「はい、素晴らしい信頼関係があります」と自信をもって答えます。なぜならば私には、昨年より今年、昨日より今日、仲間への信頼が強くなっているという実感があるからです。

「信頼関係」そのものは、見ることも、触れることもできません。ですから、定量的に測ることも、“100点満点でいうと何点”というように点数にすることもできません。しかし、「信頼関係がある」という実感を得ることはできます。その実感をもつことが大切なのです。今回は、「信頼関係」ってどんな関係なんだろう、という問いを、当社スコラ・コンサルトのことを例にしながら考えてみたいと思います。

それを本当だと思いこんで頼ること

このコラムを書く前に、「信頼」という言葉の意味を辞書で調べてみました。「信じて頼ること」と書かれています。この説明ではあまりにも”読んで字の如し”だったので、「信じる(信ずる)」を再度調べてみました。その意味は「それを本当だと思いこむ」と書かれていました。
今度は、これらの単語の意味をつなげてみたら「それを本当だと思いこんで頼ること」という簡単な文章ができあがりました。一見、なんてことはない文章ですが、「思いこんで」という部分に難しさを感じます。なぜならば「思いこむ」という状態は、必ずその対象(相手)があり、自分の思いだけでは成立しえないからです。

ここでは、「上司と部下の関係」を例にみてみましょう。部下のAさんは、上司に何かを相談すれば必ず答えを与えてくれると思っています。しかし、上司のBさんは、部下に自分で考える力を身につけてほしいと考え、答えを簡単には出さないことを大事にしています。上司のBさんの考えを、部下のAさんは知りません。上司のBさんも、部下のAさんの思いを知りません。お互いに知りえない状況では「上司は何も答えてくれない」「部下は自分で考えようとしない」こんな誤解した状態が続き、不信感へとつながる場合が多いのではないでしょうか。

安心してモノが言えて、話を聞ける関係

私が所属するスコラ・コンサルトには組織図がありません。ですから、必要に応じてその場面に合ったチームをつくります。フォーマルか、インフォーマルかといったことも、ほとんど問いません。仕事の単位で必要なチームをつくりますが、チーム内で「上司と部下」というように固定化された関係があるわけではありません。スコラ・コンサルトは、”お互いの信頼関係で組織を運営している”といっても言い過ぎではないと思います。

それでは、当社の全員が日常、信頼関係をつくることそのものに意識を向けているのかというと、必ずしもそうではないようです。それよりも、ふだんから「話し合う」ことを大事にしているように見えます。社内を見まわすと、あちらこちらで話し合いをしている様子を見ることができます。少人数の場もあり、多数が集まっているときもあり、時には騒がしいと思えるほど話し合いが多いのです。私は、こういった話し合いの中で、仲間の思いを知ることができます。知り合う機会がなんといっても多いのです。
けれど、これだけ多くお互いを知る機会をもっていても、双方の思いに対する理解にズレが生じてしまい、誤解が生じることもあります。そんな時は、お互いが不機嫌になったり、感情的になったりする場面も見受けられます。しかし、そんな時こそ話し合いを加速させていくと、そのなかで自然とズレが修正され誤解が解消されていきます。このような場面に出会うと、まるで、組織の中に信頼関係を高める自浄作用が生まれているような感覚を受けます。「安心してモノが言えて、話を聞ける関係」があるということです。
私が当社内で信頼関係が強くなっていると実感するのは、まさにこの信頼関係を高める自浄作用が生まれていると感じる時です。

人の「思い」は、おかれた状況やタイミングによっても異なることが多いでしょう。だから、お互いの思いにズレが生じることは、当然なことかもしれません。そのズレを修正しながら信頼関係を高めていくために、話し合うことが日常的になっていることが必要なのです。「安心してモノが言える、話を聞ける関係」が職場にあること。それは確実に「信頼関係」を高め続けていくことにつながるのです。
私はこういったことから、スコラ・コンサルトで働けることに感謝と誇りを感じているのです。