2024年6月、JR東日本建築設計(JRED)は、伊藤社長の就任によって新たな経営体制がスタートした。前体制のもとで築かれた強固な経営基盤を継承しつつ、変化の大きい事業環境に対応するため、経営チームとして議論の質と一体感を高める必要があった。
当時の経営会議は、事前に調整された議案を確認・承認する場として機能しており、各役員は担当領域に高い専門性をもつ一方、全社視点での議論や複雑な経営課題への対応には改善の余地があった。新体制のレベル向上を図るため、準備期間を経て2025年に経営チームの風土改革に取り組むことが決定された。
活動開始に先立ち、スコラ・コンサルトのプロセスデザイナーは役員10名への個別インタビューを実施。組織の現状や課題を丁寧に整理したうえで、全6回のオフサイトプログラムが設計された。

第1回(2025年8月29〜30日)
ジブンガタリによる関係性の再構築

第1回は、湘南国際村での1泊2日の合宿で実施され、参加者全員が自身の生い立ちや価値観を語る「ジブンガタリ」からスタートした。互いの価値観やこだわりを知る機会となり、関係性が大きく変化した。ある役員が語りながら涙を見せた場面もあり、心理的安全性が一気に高まったと参加者は振り返っている。
ゲストスピーカーとしては、日本航空の子会社で社長経験がある浅香浩司氏が参加。浅香氏のジブンガタリでは、企業が存続の困難に直面した際の意思決定やリーダーシップについて学ぶ時間が設けられた。
合宿全体を通じて、以降の議論の基盤となる信頼関係が形成された。

第2回(2025年9月17日)
経営会議シミュレーションの開始

第2回では、実際の経営課題を題材とした「経営会議シミュレーション」を実施。忖度なく侃々諤々の議論をするというルールを導入し、表面的な話し合いでは生まれにくい議論を促した。役員同士が互いの知見を出しあい、課題を共同で検討する姿勢が生まれはじめた。

第3回(2025年10月10日)
外部経営者との対話による視座の向上

第3回では、摩耶堂製薬の綾井博之社長をゲストに迎え、経営者としての経験や意思決定の背景にある考え方を共有した。外部の視点に触れることで、自社の特徴や意思決定のスタイルを客観的に捉える機会となり、役員の視座が広がる。
とくに、社長からみると一心同体と思っていた経営幹部に、「営業としては……」というように、一歩引いたような、まるで「川の向こう側」にいるような感覚で話をされた時には落胆し、社長としての孤独感を深めたという話は参加者の心に大いに響いた。

第4回(2025年11月25日)
先送りされてきた課題の構造を見つめる

第4回では、再び経営会議シミュレーションを実施。まちづくりへの対応力強化や知的財産戦略などのテーマが議論された。また、「なぜ経営課題が先送りされるのか」という観点から、組織構造や自分たちの意思決定の癖について分析する時間が設けられた。先送り経営課題の背景にあるメカニズムが共有される。

第5回(2025年12月18日)
本質的な問いに向き合う

第5回では、スコラ・コンサルトの簑原麻穂代表が参加し、経営における哲学や価値観について考える機会が設けられた。今回のオフサイトミーティングをきっかけに「社員の幸せ」というテーマが経営課題として浮上した。抽象度が高いテーマでありながら、役員全員が真摯に向き合い、議論を深めた点が特徴的である。

第6回(2026年1月22日)
積年の課題への挑戦と変化の兆し

最終回では、3チームに分かれて「社員の幸せ」「専門職の育成」「大規模案件の体制強化」など、長年先送りされてきた経営課題に取り組んだ。これまでの議論で培った視点を総動員し、課題の本質に迫る検討となった。
また、植松取締役が60ページを超える資料を自主的に作成し、経営者としての覚悟を問う内容を提示。これまでの議論を踏まえた提言であり、経営陣の変化を象徴する出来事となった。

活動を通じて見えてきた変化と今後の課題

半年間の取り組みを通じて、役員同士の関係性は変化し、議論における率直さや全社視点が芽生えはじめた。経営会議でも、会議の進め方や議題のあり方について意見が出るようになり、従来の形式的な進行からの変化が見られた。
一方で、日常業務に戻ると従来の慣習に引き戻される場面もあり、継続的な対話の必要性が共有された。組織が元の状態に戻ろうとする“重力”に抗いながら、経営チームとしての成熟を進めていくことが今後の課題となる。
伊藤社長は、2026年度にスタートした中期経営計画「RISE2030」の策定にあたり、本取り組みでの議論が大きな基盤になったと述べている。また、2026年4月に開かれた経営構想説明会では、半年間の活動内容と経営陣の姿勢を社員と共有し、今後の方向性を示した。「対話に終わりはない」という共通認識に基づき、自律的に議論する風土を根づかせる取り組みは、JREDの経営を支える基盤として今後も求められている。

伊藤社長インタビュー

取締役がチームになるための風土改革

――伊藤社長は2024年6月に就任され、オフサイトミーティングを中心とする活動に取締役全員で今回取り組まれました。どのような背景やお考えがあったのでしょうか。

伊藤さん JR東日本にいた頃から、当社のことは「社員のレベルが非常に高く、しっかりとしたよい会社だ」と感じていました。創業当時はよちよち歩きだった会社が、30年を経て立派な技術者集団に育った。3年前に常務取締役として当社にきたときも同じ印象でした。
前任の有山伸司相談役は、社長として8年間をかけて、強固な経営基盤を築かれました。ただ、引き継ぐ私には課題があると感じていました。

――どのような課題でしょうか。

伊藤さん 経営陣のチーム力です。個々の担当領域については、誰もが高い成果を出している。私たちには確実な業務執行を重んじる風土があって、たとえば経営会議では、各役員が事前に徹底的に調整された事項を報告し、承認を得るというスタイルが定着していました。全員が各領域のプロフェッショナルなので、かえって喧々諤々の議論にならない空気がありました。有山相談役の強いリーダーシップがあってこそ機能していたやり方です。
しかし、変化の激しい不確実な時代に、社長ひとりの判断だけで進むのはリスクが大きい。10人の取締役それぞれの知見と経験を結集してこそ、本当の経営力が発揮できる。私の基本的なスタンスです。

――就任してまもない頃、佐藤取締役からスコラ・コンサルトの活動について提案があったそうですね。

伊藤さん はい。私自身には、外部の専門家に頼んで風土変革を図るという発想はありませんでした。自分から「こういう研修をやりましょう」と言えたかというと、正直そこまでは至らなかったでしょう。佐藤の提案を聞いたとき、自分の問題意識に合致するものがあると直感しました。

私も含め、役員たちは担当領域の責任を果たすことに一生懸命で、経営陣のひとりとして会社全体の先頭に立つという意識が十分ではなかったのかもしれません。10人の取締役に一体感が生まれたら「チームJRED」が実現できる。経営会議も、報告や承認の場ではなく、「なぜやるのか」という本質的な議論ができる場になるだろう、という期待がありました。

事前に調整された議案より、侃々諤々の議論がより本質的な結果をもたらす

――実際のオフサイトミーティングに参加して手応えはいかがでしたか。

伊藤さん 最初は1泊2日の合宿で開催し、ジブンガタリからはじまりました。何十年も一緒に働いてきた仲間でも、「そういう生い立ちだったのか」「そこまでは知らなかった」という気づきが多々ありました。人となりを知ることで、その後の議論の質が変わる。あの場がなければ、新しい関係性を築くのに時間がもっとかかったでしょう。

ただ、私にとって本当のターニングポイントは、第2回で実施した「経営会議シミュレーション」でした。「このメンバーでこう変えていくのか」とおぼろげながら未来が見えてきたからです。

――経営会議シミュレーションとは、具体的にどのようなことをされたのでしょうか。

伊藤さん 各自が実際に抱えている経営課題を事前に共有して、限られた時間のなかで立場や役割を越えて侃々諤々の議論をする。私たちは開発プロジェクトという確実性を重んじる仕事に長く携わってきたので、どうしても100%に仕上げてから会議にかける習慣が身についています。しかし、それでは十分な議論にならず、結果的にほぼ承認という状態しか生みません。

立場や役割を越えて議論をするからこそ、周りの役員は「一緒に形にする」という当事者意識がもてる。建築の設計と同じように、会社の経営もまた対話を通じて全員で練りあげていく共同作業です。「ここはこうしたほうがいい」「この課題の本質は別のところにある」と、それぞれの知見を持ち寄る。「議論する会議」への第一歩でした。

――回を重ねるごとに、対話の質は変わっていきましたか。

伊藤さん シミュレーションの議題だけを見ても、明らかに変わっていきました。最初は自分たちの部門だけで完結できる浅いテーマが多かった。ところがだんだんテーマの幅が広がり、深くなっていく。これまで先送りされてきた本質的な課題に、経営陣が向き合えるようになった証拠だと思います。

経営会議についても「議題が多すぎる」「この会議は無駄ではないか」といった意見が出るようになりました。以前は、決まった会議は決まった通りに進めるという空気があった。参加者の意識に変化が生じたことは間違いありません。本音で議論する土壌が、少しずつできているのだと思います。

ゲストを招いた他流試合で「熱量」をあげる

――全6回のうち3回は社外の方をゲストスピーカーに招きました。伊藤社長が強く希望されて、プログラムに加えたそうですね。

伊藤さん 私は以前から、講演会やセミナーなどで社外の方から多くの刺激を受けてきました。経営の大きな壁にぶつかった方の経験は唯一無二。どんな状況で何を考え、どう行動したか。実際に経営の先頭に立つ方の経験談は、抽象的な経営論と違って本当に大切なことがストレートに伝わってくる。スキルではなく、人間性そのものから学ぶことができます。

ゲストにお招きした方たちは、いずれも挫折や苦労から這いあがってこられた。貴重な実体験を全員で共有させてもらいました。ひとりで講演会に出かけるのとは違います。共通の体験として議論に活かされる。今回のプログラムにはどうしても必要だと考えました。
初回の合宿では、夜の懇親会でもゲストスピーカーの話が出ました。ゲストの話に涙を流した役員もいました。私たちには倒産危機ほどの厳しい経験はありません。しかし将来、苦境に立たされることがあれば「あのときの話」が思いだされるでしょう。知識ではなく、体験として全員で共有できたことが大きかったですね。

――「アウトプットを生みだすインプット」も意識されていたそうですね。

伊藤さん この1年ほど、JR九州のプロジェクトにかかわるなかで気づかされたことがあります。先方の担当者たちと話していたら、東京の地理やランドマークにやたら詳しいんです。驚いて理由を尋ねたら、プロジェクトマネジャーを務める専務さんが「いいアウトプットを出すにはインプットが大事。だから、どんどん外を見てこい」といろんなところへ出張するのを奨励されているというのです。
私たちはどうしてもアウトプットばかりを求めがちになる。インプットにも目をむけたほうがいい。ゲストのお話を聞くのは重要なインプットのひとつだと考えました。

全6回のプログラムも、インプット回とアウトプット回が交互になっていました。共通の体験で視座を高め、全員の熱量が下がらないうちにリアルな自社課題に向き合う。私たちの意識を引きあげてくれるサイクルだったと思います。

答えが出ないからこそ向き合う

――プログラムの後半では、「社員の幸せ」をテーマに議論されたそうですね。経営会議で扱うには、かなり抽象度の高いテーマです。

伊藤さん 「社員の幸せ」と言いだしたのは私です。もともと人間の能力は無限大で、長所を伸ばしてあげれば、短所を直すよりもより組織の力になると信じています。550人の社員をよく見ると、図面を描くことに専念したい人もいれば、調整が得意な人、プレゼンが上手い人など得意分野はさまざまです。1人ひとりの強みを見極めて伸ばす。その総和が会社の力です。

ただ、いざ「社員の幸せ」を議論すると、答えは簡単に出ませんでした。現在の働き方で十分だという人もいれば、もっと高いレベルの仕事で社会に貢献したい人もいる。家族と過ごす時間を優先したい人もいれば、もっと働きたい人もいる。全員の幸せを満たす方法はどこにもありません。

――たしかに簡単に答えが出ない問題です。

伊藤さん 答えが出ないからこそ、向き合うことに意味がありました。以前だったら「社員の幸せ」と言ったとき、「誰を」「どのように」というように、本質的な議論をすっ飛ばしていたかもしれません。この活動を通じて、ようやく本質に迫る議論ができるようになったことは大きな成果でした。
少なくとも「社員のほうを向こう、向き合おう」という問題提起が、経営について考えるうえで共通項になったことはたしかです。

――「社員のほうを向く」という意識の変化は、具体的な施策に結びつくのでしょうか。

伊藤さん 象徴的なのが、今年度のベースアップです。全員一律2万円にしました。一律ということは、割合でいえば若手に手厚いということです。もちろん、50代の社員にとっても2万円は小さくない。若手に手厚くするというメッセージを込めつつ、中堅から上の世代にも届けたい。社員一人ひとりの幸せを考えた経営判断です。

この活動で積みあげた議論は、今年度の初めに発表した中期経営計画「RISE2030」にもつながったと思います。計画をつくって終わりではない。具体化していく今後が、本当の勝負です。

掛け合いの議論ができればもっと強くなる

――6回のプログラムを終えて、経営会議の雰囲気に変化は表れたでしょうか。

伊藤さん 以前は「決まった会議は決まった通りに進める」という空気だったのが、活動が進むうちに「議題が多すぎる」「この会議は無駄ではないか」と、率直な意見が出るようになりました。間違いなく変化は起こっています。

とはいえ、まだ道半ばだと感じています。たとえば、この活動で最も変化した植松(取締役)みたいに意見をはっきり言えるようになった人もいれば、会議のあとで「社長、あの発言は実はこういう経緯があって……」と説明にくる人もいる。その場で言えばいいのに、と思いながら聞いています。

――その場で言えない理由は何でしょうか。

伊藤さん 悪意や不満があって黙っているわけではありません。うまく発言できないのは、本当にコツコツと仕事を積みあげてきた人たちです。ただ、せっかく活動してきたのだから、もう少し変わってもいいように思います。

声の大きい人の意見が100%正しいわけではありません。別の立場から「話はわかるけれど、実際はこうだ」と言えるようになってほしい。全員が掛け合いのように意見を交わせるようになったとき、私たちのチームはもっと強くなるはずです。

――伊藤社長ご自身のリーダーシップについては、どのようにお考えですか。

伊藤さん もっと引っ張らなければいけないと思う瞬間もあります。本当のリーダーシップとは何なのか。社長就任から2年たっても、まだ日々悩んでいます。

ただ、今回は私も活動に参加して正解でした。私がいなければ、彼らはもっと自由に発言できたかもしれない。その一方で「社長はこう考えていたのか」と知ってもらう機会になり、相互理解が深まりました。どちらを選ぶかといえば、もちろん後者ですから参加してよかったと思います。

”振り出し”に戻る力に抗って前進する

――取締役の活動について、社員の皆さんにどのように伝えたのでしょうか。

伊藤さん 社員との共有には反省すべき点があります。全社員に十分に伝えきれなかったのです。情報が届いていたのは部長以上でした。

なので、今年4月に開いた経営構想説明会で、私の持ち時間15分の最後に話しました。「昨年度は約半年かけて6回の取締役研修を実施し、さまざまな経営課題に向き合った。答えが出なかった課題もある。たとえば『社員の幸せ』については答えが出なかったけれど、真摯に向き合った。まずは経営陣が一体となるように努めている」と。

――社員の反応はいかがでしたか。

伊藤さん 感想を集約すると、最も多かったのは「経営陣が覚悟を決めたことがよくわかった」という声。高い目標を掲げただけではなく、覚悟のなかに約半年間の活動も含まれている。そう受け取ってもらえたと思います。

――今後の展望をお聞かせください。

伊藤さん 中期経営計画「RISE2030」がまとまり、ようやくスタートラインに立ったつもりです。これから5年間、会社が進む方向が決まったので、今年度はタスクフォースで具体策を議論していく予定です。

組織は放っておけば、元の習慣に戻ろうとする。その重力に抗いながら、対話をつづけていくのが風土改革だと考えています。私たちの挑戦は、これからもつづきます。